『青い花』(原題:Heinrich von Ofterdingen)は、ドイツのロマン派詩人ノヴァーリス(1772-1801)の未完の小説。
主人公のモデルは、13世紀の伝説的な詩人ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンです。
あらすじ
旅人から聞いた「青い花」の話が頭から離れないハインリヒ。淡い青色の花弁の中に垣間見た可憐な顔……暗示的な夢を見た彼は、両親のすすめもあり、旅立ちを決意する。
その旅の過程で、20歳の若者は詩人として頭角を現していくのであった。
内容紹介と感想
第一部 期待
青年の心の旅路
第一部の話の流れはおおむね次の通り。
- ハインリヒ、青い花に恋い焦がれる。
- 両親が息子を旅に出し、見聞を広めさせようと考える。
- 母の郷里を目指して出発。
- 道中、さまざまな出会いがあり、詩人として覚醒していく。
- 母方の祖父のもとに到着。そこで永遠の恋人と詩の師匠を得る。
第一部においては上の4項目目、道中のあれこれがとりわけ重要です。
これはただの旅ではありません。もともと学問の道を志していたハインリヒが、詩人としての才能を見出され、成長していく心の旅でもあるのです。
視野が広がる体験を通し、ハインリヒの心の中で眠っていた扉が開かれました。
同行している商人いわく、目や耳を楽しませる画家や音楽家に対し、心情を満たすのが詩人。のちにクリングゾールが詩は経験に基づくものだと明言しているように、ハインリヒ自身の心が豊かになることは、いずれ他者の心をも豊かにするのでしょう。
メンターとなる老賢人
父親の友人である商人たち、遠い故郷を想う東洋の女性ツーリマ、仕事を愛する清貧な老坑夫、歴史と詩の親和性を説く洞窟の隠者、師匠・義父となるクリングゾール、第二部に登場する医師ジルヴェスター……。
ハインリヒが各地で知り合うのは基本的に親切で善良な人ばかりです。
注目すべきは、彼の今後の指針となるメンター(指導者・助言者)として、年配の男性が何人も配置されている点でしょう。ユング心理学でいえば「老賢人(wise old man)」のようなイメージかもしれません。
作中の対話は時に詩論、時に人生哲学ともなっています。ハインリヒは素直で感受性の強い若者なので、打てば響くように彼らの言葉を吸収していくのです。
めぐりあう恋人たち
祖父である老シュヴァーニングの邸宅に到着したハインリヒは、そこで運命的な出会いをします。
ひとりは祖父の友人で詩人のクリングゾール。もうひとりがその娘のマティルデです。ハインリヒは青い花の中の顔=清楚なマティルデの顔だと確信します。
個人的には、最初に設定した目的地で夢の女性が出てきたことにびっくりしました。「そこからさらに一人旅をした先で出会うのかも」あるいは「未完だから出会わずじまいなのかもしれない」くらいの気持ちで読んでいましたので。
愛らしいマティルデを紹介され、恋に落ち、婚約者に。とんとん拍子に話が進みすぎて、逆に不安になってしまいました。
永遠の愛を誓って
詩人を主人公にしている小説だけあって、「アトランティス物語」など、たくさんの詩や物語がちりばめられているのも本作の大きな特徴です。
第一部の最後に語られるのが、その集大成ともいうべき「クリングゾール・メールヒェン」。幼いファーベル(詩の象徴)の活躍を描き、地上界のエロス(愛)が天上界の王女フライア(平和・憧れ)を目覚めさせたところで終わります。
詩人としてのハインリヒの華々しいスタートや、マティルデとの愛の萌芽を予期させ、大団円そのものです。
第二部 実現
第一部ラストから時は流れ、マティルデはこの世を去りました。上述のとおり嫌な予感がしていたので、この事実が判明したときの感想は「ああ、やっぱり……」。
岩波文庫(青山隆夫訳)の解説でも触れられていますが、ハインリヒの巡礼の旅は、ギリシア神話に登場する詩人・音楽家オルフェウスの冥界下りを想起させます。
ただ、未完の第二部が後味の悪い終わり方をするかというと、そんなことはなさそうです。これは「実現」というタイトルや作者が残したメモの内容から、ある程度予想できます。
また、ハインリヒの人生を暗示している作中作を考慮すると、「クリングゾール・メールヒェン」などと同じく一波瀾あっても最後はきれいにまとまるのではないか、と。
たとえば私は、ゲーテ作『ファウスト』のように、今際の際に亡くなった恋人が現れて……なんて展開を想像しました。
ちなみに、ゲーテの別作品『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を意識して(詩的な要素や神秘的な要素を強化したアンチテーゼのような形で)書かれたのが『青い花』なんだとか。
北原白秋の「青き花」
北原白秋の詩「青き花」は、『邪宗門』の中の一篇です。ノヴァーリスの『青い花』に影響を受けた節がある作品ですので、あわせて紹介したいと思います。
そは暗きみどりの空に
むかし見し幻なりき。
青き花
かくてたづねて、
日も知らず、また、夜も知らず、
国あまた巡りありきし
そのかみの
われや、わかうど。
そののちも人とうまれて、
微妙くも奇しき幻
ゆめ、うつつ、
香こそ忘れね、
かの青き花をたづねて、
ああ、またもわれはあえかに
人の世の
旅路に迷ふ。
白秋自身はこの詩が含まれる箇所を「幼き一章」などと記していますが、私はその初々しさが好きです。
楚々とした青い花の雰囲気が、若き日の憧憬や青春の彷徨のイメージとあっていますね。
おわりに
夢に牽引される内なる小宇宙をめぐる旅。現実と非現実、生と死、過去・現在・未来の境界があいまいになっていく幻想の森の中をさまよっているような、そんな気分にさせられる小説でした。
ノヴァーリスの「ポエジー」観や作品の根底にある「魔術的観念論(magischer idealisumus)」について掘り下げると、より興味深く読めると思います。