『ビッグ・フィッシュ』(原題:Big Fish)は、『シザーハンズ』や『チャーリーとチョコレート工場』で知られるティム・バートンの監督作品。原作はダニエル・ウォレス、ほらばかり吹く父とその息子の物語です。
バートン映画にしては毒気が薄く、だれでも見やすい作品に仕上がっています(逆に、バートンの毒気こそが好きなんだ!という方にとっては物足りないかもしれませんが)。
あらすじ
明るく社交的な性格のエドワードは、奇想天外な話をしては皆を惹きつけている。息子であるウィルの結婚式当日でさえ、その調子である。ウィルは父と口論になり、以降2人の間に溝ができてしまう。父のほら話を長年信じていたウィルだが、大人になった今は違うのだ。
久しぶりの再会は3年後、エドワードの容体がすぐれないと母から連絡を受けてのことだった。しかし、父は繰り返しウィルに言う。「私の死に方はこんなものじゃない」と。
数々のほら話を振り返りながら、ウィルは真実を知るべく父の足跡をたどり始める。
内容紹介と感想
色鮮やかな風景が美しい、おとぎ話のような世界が広がる過去篇。薄曇りの日々が続くような暗さが漂いつつも、家族の温かみあふれる現在。エドワードの昔話を織り交ぜつつ、現在の父と子が和解するまでの物語が描かれていきます。
大魚を捕まえた日
ウィルが生まれた日、結婚指輪を飲み込んだ大魚と格闘したお話。冒頭の結婚式のスピーチで登場しました。エドワードいわく「あの話はウケがいいんだ」とのことで、持ちネタの1つのようです。
ウィル誕生時の客観的事実については、終盤で担当医のベネット先生が教えてくれます。どちらが本当かではなく、どちらがより面白いか・好きかを問いかけるベネット。ストーリーを通しての主題です。
魔女の瞳に映る未来
少年時代、エドワードと友人たちは、沼地に住む魔女のうわさを確かめに出かけました。彼女のガラスでできた目をのぞくと、自分の最期がわかるというのです。そして、エドワードが魔女の目のうちに見た死に際とは……?
ほかのエピソードで窮地に陥るたび、「自分の死に方はこうじゃない」とエドワードは気持ちを奮い立たせています。それは病に苦しんでいる現在も変わらず。もっともウィルは、その「最期の場面」の話を一度も聞かされていないのですが……。
巨人、現る
成長後、スポーツや人助けで活躍するエドワード。ところがそこにさらなる「大物」、5メートルはあろうかという巨人カールが現れました。町を荒らしていた彼ですが、話してみると巨人には巨人なりの悩みがある様子。そこでエドワードは、ともに大都会へ飛び出そうと提案します。
「あんたがデカいんじゃない。町が小さいのでは?」
誘い方がなんとも粋ですね。
そして旅立ちに際しては、例の魔女がアドバスをくれました──「奔放な魚が川で一番になる」と。エドワードはこの言葉を胸に広い世界へと向かいます。
不思議な町スペクター
朽ちた旧道を進んだ先には小さな集落があり、陽気な住民たちから歓待を受けました。行方不明だった詩人が何年も長居しているほど住み心地がよい町です。しかし、エドワードはその状況に危機感を覚え、出発を決意。特になついてくれていた少女ジェニーとは、再会の約束を交わします。ところが、ずいぶん後になって彼女の悲しい半生が判明することに……。
サーカスと運命の出会い
エドワードは、偶然立ち寄ったサーカスで未来の妻と運命の出会いをします。この場面では、ストップモーションの演出が面白いです。
団長から彼女の情報を得るためにタダ働きをするエドワード。ある晩、団長の秘密を知ってしまいます。巨人のカール同様、団長もその実孤独を抱えていたのかもしれません。エドワードには、そういった人とは違う部分を受け入れるだけの度量があるように思えますね。
この事件を機に団長から認められたエドワードは、晴れて思い人サンドラに会いに行けるようになりました。
スイセンに囲まれて
サンドラにはすでに婚約者がいました。愚かだと自覚しつつも、大学の至るところで愛の告白を繰り返すエドワード。恥ずかしさのあまり苦笑するばかりのサンドラですが、それでも嫌な気持ちはしません。
そして一面の黄色いスイセン。サンドラの好きな花です。その花畑でエドワードは試合に負けて勝負に勝ちました。喧嘩では暴力的な婚約者に負けましたが、サンドラの愛は勝ち取ったのです。
下半身を共有する双子歌手
幸せいっぱいの2人のもとに徴兵令状が届きます。
アジア地域に潜入した際は、不思議な双子歌手に見つかってしまい、ピンチに。エドワードは仕事話を持ちかけてその場をおさめ、彼女たちと一緒に脱出することにしました。
この後の帰宅シーンもまたロマンチックです。初々しい2人の笑顔とうれし涙がまぶしい。双子というのは互いに半身のような存在として語られることが多いものですが、深い絆で結ばれた夫婦も同様であると感じます。
氷山の一角のような
「全部が作り話じゃないのよ」
書斎を整理しているときに母が戦時中の電報を見つけ、ウィルはとても驚きました。
昔、家を空けてばかりいた父。別の生活があったのではないかとウィルは疑っています。自分は父の一面しか知らない。妻のジョセフィーンが妊娠中であり、まもなく自身が父親になろうという今、ウィルの苦悩は深まるばかりです。
このジョセフィーンがすてきなお嫁さんなんですよね。彼女は義父の話をとても面白がっており、親子で話し合うべきだとウィルに言います。
他方、もう一組の夫婦。昔からよくのどが渇くというエドワードは「乾いてしまった」とパジャマのままお風呂につかっていました。そんな夫を慈しみつつサンドラはつぶやきます。
「私は涙が乾きそうにないわ」
先述のスイセンに囲まれた若い恋人たちは幻想的かつ象徴的で、とても美しかった。けれど、私はこちらのお風呂の場面の方が好きなのです。歳をとっても、いやともに歳を重ねたからこそ、美しい夫婦の姿がそこにはありました。
旅のセールスマン時代
ウィルが書斎で見つけた信用証書の住所を訪ねると、そこには魔女とあだ名される女性が住んでいました。
「最初の時は予定より早く、二度目は遅かった」
取り残された「空想の女」の口から語られる父の姿とは……。
ここの昔話でも、かつての友人たちが協力してくれているのが素敵です。
大魚が去った日
発作を起こし病院に運ばれたエドワード。目を覚ますと、次のようにウィルに請います。
「私が死ぬときの話をしてくれ」
ウィルは戸惑いながらも、父が語った出だしを受けて懸命に話をつなげていきます。それはエドワードの最後のほら話、ウィルが語る最初のほら話でした。この先はもう泣き笑いです。
そして迎えるお葬式。悲しいけれど悲しくない。涙と同時に笑みがこぼれてくる。「ああ、そういうことだったのか」とすべてが氷解していきます。
故人がとても幸せな人生を歩んできたこと、そしてまた周囲の人々を幸せにしてきたことを感じ取れるシーンです。
おわりに
big fishには「大物」、fish storyには「ほら話」という意味合いがあるそうです。これを知ると、タイトルやストーリー上重要なところで登場するのが魚であることに合点がいきますね。
あくまで「ほら」であって「うそ」でないのがポイント。最高の「ほら吹き」であるお父さんと、その家族のすてきな物語でした。