夢野久作『瓶詰地獄』『何んでも無い』

今回は、手紙形式で書かれた短編二作品をご紹介します。
自らの行為によって天国から地獄へと堕ちていく登場人物の姿には、いろいろと考えさせられるものがあります。

『瓶詰地獄』

ここでは、ストーリー面の感想よりも時系列問題等に焦点を当てています。

三本の瓶の内容

とある村役場の人々が発見した三本のビール瓶の中には手紙が入っていました。どうやら、無人島に流れ着き悲劇的結末を迎えた兄妹の手記のようなのですが……。

〈第一の瓶の内容〉
ついに救助の船がやって来た。船上にはなつかしい父母の姿も見える。しかし罪を犯したことを悔いる二人は、崖から身を投げる決意を固め、筆を折る。

〈第二の瓶の内容〉
一番長い手紙。太郎とアヤ子が無人島に漂着した経緯やその後の生活が語られる。二人は聖書を心の拠りどころにして平和な日々を送っていたが、成長するにつれ互いを強く意識するようなり、葛藤に苦しむ。

〈第三の瓶の内容〉
カタカナばかりの一番短い手紙。父母に向けて、自分たちは無事だから早く助けに来てほしいと述べる。

手紙が書かれた順番は?

時系列は、(いっきに書き上げた手紙を別々の瓶に入れたといったことがなければ)次の6パターンのいずれかになるはずです。

 A.〈一〉→〈二〉→〈三〉 
 B.〈一〉→〈三〉→〈二〉
 C.〈二〉→〈一〉→〈三〉 
 D.〈二〉→〈三〉→〈一〉
 E.〈三〉→〈一〉→〈二〉 
 F.〈三〉→〈二〉→〈一〉

〈一〉と〈二〉には以前流した瓶の話題が出てくるので、(手紙の内容を信じるなら)この二つが最初に来るA~Dは全滅。大筋を見る限りはFが自然に感じます。しかし、これもやっぱり変なのです。

まず、〈一〉の書き手は「最初の手紙を見て皆が助けに来てくれたんだ」と考えています。しかしその通りであるなら、三本の瓶が同時期に発見されたという冒頭の報告と食い違いが生じるのです。かと言って、通りすがりの船が運よく二人に気づいてくれた上に、たまたま両親もそこに乗っていたというのも無理があるでしょう。
また、〈二〉で鉛筆が残り少なくなってきたと述べていることを踏まえると、〈一〉の文章が長すぎるように思えます。

ただ、救助の船や両親の姿は罪の意識から来る幻覚で、一本しかない鉛筆は半分に切って使っていてその片方が無くなっただけではないか、鉛筆以外のもので代用して書いたのではないか、といった見方もあるようです。なるほど、それなら説明がつきますね。

Eに関しては一見流れが不自然ですが、錯乱状態で事実認識があいまいになり身を投げかけたものの、踏みとどまった(あるいはもう一人に止められた)場合を想定すると、候補として残ります。

さらに、〈三〉を最後の手紙だとする意見も見られます。わずかな鉛筆でもこの程度の短文なら書けるでしょうし、精神的問題でついには幼児のようになってしまったのではないか、というものです。

いずれにせよ、意図的な嘘や単純な勘違いでないのなら、書き手は精神を蝕まれていたことになりますね……。おおもとの資料が正確性に欠けるのでは、記述のどの部分を信じるか・信じないかという仕分け作業から始めないといけないので議論が尽きません。

ちなみに、最初に手元にあった三本に加え、潮流に乗って流れ着いた別の瓶があれば、第四の手紙を出せたのではないかとも考えましたが、さすがに話を広げすぎですかね。

手紙を書いたのは誰?

当初、私は全文が太郎の記述だと思い込んでいました。しかし文末の署名を見直してみると、〈一〉が「哀しき二人」(本文にも太郎・アヤ子の名前は出てこない)、〈二〉が「太郎」、〈三〉が「市川太郎・イチカワアヤコ」。太郎が書いたと断定できるのは〈二〉だけです(これも誰かが太郎の名を騙ったということがなければの話ですが)。文体の違いから〈一〉はアヤ子作のようにも思われますが、「哀しき二人」が太郎・アヤ子とは別人という可能性も捨てきれません。

また、〈三〉は11歳(当時は数え年でしょうから満年齢だと9、10歳?)の太郎が書いたにしては少々文面が幼すぎる気がします。それくらいの年頃なら、救助に役立つ情報をもっと提供できるのではないでしょうか。
逆に〈一〉と〈二〉は、参考書が聖書一冊にしては文章が上達しすぎです。

そもそも最初から最後まで兄妹は二人そろっていたのでしょうか。途中でどちらかが亡くなって精神的ショックを受け、その幻影を追っていたなんてこともありえます。

もう何もかも疑わしくなってきて、兄妹のように振る舞っていただけで実は市“河”アヤコちゃんという赤の他人だったりしないか、といった考えまで浮かんできました。

それから、〈二〉のような内容の瓶を単体で流すのも個人的に違和感を覚えます。〈一〉と〈二〉をつなぐ部分があり、まとめて同じ瓶に入れたのなら、罪を告白した遺書ということでまだ理解できるのですが。

個人的結論

結局、瓶が同時に発見された点、文章レベルが高すぎる点、セットで読まれることを想定しているように思えなくもない点から、私はまるごと創作説に落ち着きました。かわいそうな兄妹はいなかったんだ、よかった、よかった……いや、この場合、あんな手の込んだ創作をした人物の心理状態が心配になってきますが。

随所に仕掛けられたトリックに翻弄され悩まされるあたり、まさしく瓶詰地獄。というか作者の思うつぼ。ごく短い内容なのに、読者の数だけ解釈がある不思議な作品です。

『何んでも無い』

こちらは『少女地獄』の中の一篇で、情報共有のために臼杵(うすき)氏が白鷹(しらたか)氏に宛てて書いた手紙という体裁をとっています。この二人には、虚言癖を持つ女性の被害に遭ったという共通点がありました。

主な登場人物

姫草 ユリ子(自称)
現在19歳、青森の旧家の出で、女学校卒業後すぐにK大に就職し、白鷹夫妻に娘のように可愛がられるも、同僚にやっかまれて退職した……と本人は言っている。

臼杵 利平
横浜で開業したばかりの耳鼻科医。ユリ子の見事な仕事ぶりに気をよくしていたが……。

白鷹 秀麿
K大耳鼻咽喉科の助教授。ユリ子の話では、臼杵によく似た気さくな人物らしい。

虚構の天才

ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。
ただそれだけです。

可憐な容姿を持ち、看護師としても優秀、臼杵医院のマスコット的存在であり、患者から絶大な人気を誇る──十二分に恵まれた状況にもかかわらず、ユリ子という女性はそれだけでは満足できないのです。
裕福な実家から送ってきたと偽り、デパートの漬物を手土産にするのは序の口。さらには臼杵が尊敬するベテラン医師・白鷹にいかに重宝されていたかを吹聴し、それをごまかすために偽者に電話をかけさせ、白鷹本人と臼杵が対面しないように画策し……。

こうして嘘に嘘を重ね、墓穴を掘っていく一人の女性の姿が語られます。彼女が虚構の世界に対して持つ執念はすさまじく、その中で得られる至上の喜びは常に破滅と紙一重でありました。

このように虚栄心に満ちた人物ですから、彼女が怖くてたまらなかったという同僚の女性の気持ちはよくわかります。しかし一方で、真実を知ってもなお彼女を憎めない、という臼杵一家の気持ちもわかるのです。

なぜなら、他人からよく思われたいという願望は私にもあるからです。彼女ほど極端な例はそうそうないでしょうが、多くの人が大なり小なりそういう願望を持っていることと思います。作中でも臼杵夫人が「そんな人の気持、あたし理解(わか)ると思うわ」と言っていたように、自分自身のそのような一面や身近な人(現代ならSNS上の付き合いも含めて)にユリ子の姿が重なって、彼女がひどくかわいそうになってくるのです。

再び『瓶詰地獄』の話

『瓶詰地獄』の手紙がすべて創作であるという説をとった場合、ひょっとすると書き手はユリ子タイプかもしれないと思い、本作『何んでも無い』をあわせて紹介させていただきました。

ユリ子は、現実的な不道徳よりも空想の中のそれに魅かれているようなところがあります。『瓶詰地獄』の手紙の主もまた、自分の空想を少しでも本当のことらしく見せたくてその思いを瓶に託したのではないか──そんなことを考えました。まあ、所詮これも私という一個人の空想にすぎないのですが。

みなさんはどう思いますか?