G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(2)

近現代文学
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前回の記事からの続きです。

内容紹介と感想(続き)

フェルナンダが自分の家の習慣を持ち込み、浸食されていくブエンディア家。バナナ工場が建設され、外部から新しい人や文化が入り、変わりゆくマコンド。

町の古参気分でいると複雑な心境になる物語後半です。

家系図
【ブエンディア家家系図(再掲)】クリックで拡大できます

第4世代:繁栄はするが…

小町娘のレメディオス

しきたりが大嫌いな自然児で、手づかみで物を食べ、坊主頭にペラペラのワンピース1枚で家の中をうろうろ。天衣無縫という言葉が似合う浮世離れした美女です。

彼女の美貌が知れ渡ると、無自覚のまま周囲の男たちを惑わし、死人さえ出る異常事態に。しかし、素朴な愛情を注いでくれる男性はついぞ現れませんでした。

その純粋さ、超然とした在り方ゆえに、彼女もやはり孤独からは逃れられなかったのです。

最後はシーツに包まれて、手を振りながら文字通り天に昇っていってそれっきり。うっかり生まれる場所を間違えた天女があるべき場所に帰ったかのようでした。

イレギュラーな双子

同時性の喪失と回復

見た目も性格も病気になるタイミングも、何もかもがそっくりだった双子も、思春期以降は性格差・体格差が出てきました。

しかし弟が長雨の間に激やせ。最期は再び瓜二つの外見になり、別室で同時に死亡。

ところで、仏教の教えに「人在世間 愛欲之中 独生独死 独去独来…」(人、世間の愛欲の中に在りて、独り生まれ独り死し、独り去り独り来りて…)という言葉があるそうで、これは本作における〈孤独〉にも通じる考え方であるように思います。

ただ「人は一人で生まれて一人で死ぬ」というのは、この双子の肉体に限っていえば当てはまらなかったみたいですね。

3000人の大虐殺

双子の兄がらみで強烈なのが、大規模なストライキとそれに対する軍の出動にまつわるエピソードです。

虐殺現場に居合わせたホセ・アルカディオ・セグンド。どうにか命は助かりましたが、他の者は異口同音にそんな事件はなかったと言うのです。戦争の描写とはまた違った怖さがあり、ぞっとしました。

この凶行や大佐が関わる内戦は、コロンビアの歴史的事件(バナナ労働者虐殺事件や千日戦争)がモチーフとなっているようです。

第5~7世代:衰退と滅亡

メメ

母フェルナンダの不興を買わないよう楽器の練習に励む一方、遊び歩いたりもしており、良くも悪くも現代の若者っぽさが見られる女の子。父アウレリャノ・セグンドとは友達親子といった感じです。

しかしそんな彼女にも悲劇が。フェルナンダに恋人との密会がばれた結果、どろぼう扱いされた彼が警官に狙撃され、後遺症で寝たきり状態になってしまいます。ブエンディア家の女性に関わって不幸になる男性の多いこと……。

メメ自身は修道院送りにされ、一言も口をきかないまま彼のことを想い続けて一生を終えることに。もとが明るい性格だっただけに、やるせなくなります。

神学生のホセ・アルカディオ

ウルスラの方針でしぶしぶ神学校へ行き、不在期間が長め。帰宅後、アウレリャノ・バビロニアと、友情とまではいきませんが奇妙な絆で結ばれます。

彼に関しては死亡シーンが衝撃的。町の子どもたちに風呂場で溺死させられ、金貨を奪われてしまうのです。

以前いたずらに対して過剰反応したとはいえ、このような残酷な仕打ちを受けるとは。強盗犯が子ども、しかもものすごく手際がよいという点に社会の暗部を見た気がします。

そしてホセ・アルカディオを失って初めて、彼に愛を感じるようになっていたことを自覚するアウレリャノ・バビロニア。第3世代のアルカディオといい、この一族ときたら……。

アウレリャノ・バビロニアとアマランタ・ウルスラ

二人きりの楽園

一族の第二の母と呼べそうなピラル・テルネラもついに亡くなり、マコンドから去っていく人々も増えました。

そんな中でも、家に残った最後の二人は幸せいっぱい。裸で生活をし始めますし、終末のアダムとイブといったところでしょうか。

二人の間に生まれた子どもについては「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めて」と書かれています。

ここに至るまで普通の恋愛をしているように見える男女はいたのに、実際はそうではなかったのでしょうか。確かに歪な関係が多かったかもしれませんが、大佐の愛する能力の欠如同様、改めてその事実をつきつけられると動揺します。

最後の者の誕生と死

これまでも、アルカディオ(第3世代)が実の母親だとは知らずにピラル・テルネラに接近したり、アウレリャノ・ホセ(第3世代)が叔母のアマランタに求婚をしようと考えたり、危うい場面が何度かありました。

しかし、警告してくれるウルスラももういません。ついにタブーが破られるときがやってきたのです。

……いや、破られないままだったら逆にびっくりするので、そこは想定内。問題は羊皮紙が解読された後です。

本作がこれだけ人々の心に残る作品になったのは、すべてがひっくり返るオチがもう一段階待ち受けていたからではないでしょうか。

メルキアデス

※以下の内容には結末部分に関するネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

圧縮された歴史

謎多きジプシー、メルキアデス。「実際に死の世界にいたが、孤独に耐えきれずにこの世に舞い戻った」男。

本当の死因は病死(シンガポールで熱病にかかった)らしいので、マコンドの川で事故死したのは二度目の死ということに。

さらには幽霊としても登場。羊皮紙を解読しようとする一族のそばに顔を出し、双子のときは時期尚早であると告げています。文章がサンスクリット語だと判明するのは終盤。

ちなみに「サンスクリット」には「完成された言語」という意味があるそう。「百年にわたる日々の出来事を圧縮し、すべて一瞬のうちに閉じこめた」予言書に用いられる言語としてぴったりではないでしょうか。

鏡/蜃気楼の町の終わり

この一族の最初の者はにつながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる

メルキアデスによって百年も前に書き残された羊皮紙の内容、それはブエンディア家の歴史そのものでした。

名前だけなく性格や言動、立ち位置が似通った人物が何度も登場し、個人単位でも創造と破壊を繰り返す。そんなふうに車輪のようにぐるぐる廻り続けるかに見えた一族やマコンドの歴史も、吹きすさぶ風の中であっけなく消え去りました。

私たちが見ていたのはスマホの画面(羊皮紙)をミラーリングしたテレビ画面(この本)のようなものだったのでしょうか?

反復の不可能性

儚いラストだと思いましたが、考えてみれば、私たちの人生だってそう大差ないのかもしれません。百年後、私のことを知っている人がどれだけいるというのでしょう。

終盤になると、あれほど有名だった大佐ですら、覚えている人がろくにいない状態でした。双子の兄が見た大虐殺は「なかったこと」になりました。

そもそも物語前半、メルキアデスが助けてくれなければ、物忘れを伴う不眠症のせいでマコンドは崩壊するところでした。

記憶や歴史というのは、なんと不確かで頼りないものなのでしょう。それでいて強烈に心の奥底に刻まれる何かもあったりするから、体験って不思議ですよね。

単行本と文庫本

日本語訳が最初に刊行されたのは1972年。その後、装丁が変更されたり、文庫化されたりといったことはありましたが、訳者はいずれも鼓直(つづみただし)氏です。

私が本作を読むのは文庫本で二度目なのですが、一度目は図書館で借りた単行本で、スペイン出身の画家レメディオス・バロのTránsito en espiral(「螺旋の運航」などと訳される)が表紙のバージョンでした。

レメディオスという名前、ラテンアメリカ(メキシコ)へ移住した経歴、魔術的・幻想的な画風……と、『百年の孤独』を連想させる要素を持つ人物ですので、その絵が装画に採用されるのも納得ではあります。

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また、白と黒が印象的な単行本のほうは「ガルシア=マルケス全小説」として刊行された中の一冊で、スイスのアーティスト、シルヴィア・ベッヒュリの絵を用いているそうです。

おわりに

実は、文庫化を機に本作を再読したものかどうか少し迷っていました。孤独や愛、人生を描くうえでは必要なのでしょうが、性的描写が多いところがどうも苦手なんですよね。

しかし、結果的には今回のほうが面白く読めました。全体の構成をすでに知っているので、以前より内容が頭に入りやすかったからかもしれません。

長文の記事になりましたが、それでも触れることのできていない登場人物やエピソードがまだまだたくさんあります。

ページ数や独特な作風ゆえに気軽におすすめしにくい作品ですが、20世紀を代表する文学作品のひとつとして一読の価値はあると思います。