小松左京『くだんのはは』

ホラー
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今回取り上げるのは上質なホラー短編『くだんのはは』です。

ちなみに、本作にはあの石ノ森章太郎によるコミカライズ(『歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション』角川ホラー文庫に収録)も存在します。

あらすじ

昭和20年6月、当時中学3年生だった僕──良夫は、阪神間大空襲で家を失い、途方に暮れていた。

その後、知り合いの家政婦・お咲さんのつてで、彼女の勤め先である邸宅の離れに住まわせてもらうことになったが、ここでは奇妙なことばかり目につく。

このご時世にもかかわらず、食事に米が出る。奥さん(良夫は「おばさん」と呼んでいる)はいつもきちんとした和服姿でもんぺなどはかないし、空襲がきても動じる様子を見せない。

そして何より気になるのは病気の娘さんのこと、時々母屋の2階から聞こえてくる少女のか細い泣き声だ。

ある日、階段を下りてきたお咲さんと鉢合わせた良夫は、彼女が持っている洗面器の中に血膿にまみれた包帯が入っているのを目撃するが……。

内容紹介と感想

SF御三家が描くモダンホラー

非常に人気の高い傑作ホラー『くだんのはは』の作者は、『日本沈没』など主にSF作品で知られる小松左京です。

読後は『霧が晴れた時 自選恐怖小説集』(角川ホラー文庫)のあとがきにもぜひ目を通してください。本作も含めたいくつかの作品については、口伝えされてきた昔ながらの怪談に現代的な視点やSF的要素を組み込む、という意図のもと書かれたことがわかります。

さすが着眼点が面白いですね。SFとホラーは実は親和性が高いのでしょう。

ただし「くだん」の伝承を題材にしてはいるものの、作中には独自設定も見られるため、そこは混同しないよう注意が必要かもしれません。

なおタイトルに関しては、1939年の流行歌「九段の母」とかかっていると見る向きもあるようです。

お手伝いさんがいつかない家

この屋敷に来た家政婦は1週間も続かない、という噂がまず怪しげ。信心深いお咲さんは、人の嫌がることを進んでやるべきだというスタンスなので例外です。

良夫が離れに移り住んでから情報が小出しにされていく感じも、じわじわと読者の恐怖心をあおります。

「もっと西」で「もっとひどい事」が起きるというおばさんの言葉は、今の我々にとっては歴史的事実であっても、当時の良夫には妄言としか思えません。

もっともお咲さんのほうは何かを察しているらしく、2階をのぞくと将来不幸になるかもしれない、と良夫に忠告します。

おばさん=スパイ、娘の病気=伝染病など、良夫は自分の想像できる範囲で現実的な理由を考えてみるのですが……。

劫(ごう)としての守り神

良夫には、このお屋敷だけ恵まれていてずるい、という気持ちがあるようです。時代背景をふまえれば、それも仕方のないことでしょう。しかし、おばさんを気の毒がっているお咲さんに比べると、他人の事情を慮ることのできない未熟さも感じられますね。

ある日、おばさんが良夫に語った話はこうです。

おばさんの祖先もその夫の祖先も他の農家に対してひどい仕打ちをしていたため、呪われた家系になってしまった。おばさんの一族の女性は子どもを妊娠できないか、出産できても3日もしないうちに赤ちゃんが亡くなってしまう。

旦那さんの一族の跡取りは、精神を病んだり変死したりする。けれど、獣の姿をした「守り神」がいるのだ、と。

──だけどその時は、守り神が主人にむかって言ったんですって。おれはお前たちの一族にいじめぬかれて死んだ百姓たちの一人だ。怨みがつもってお前の家にとりついたが、そのかわり、お前の家や財産は守ってやるって……

この守り神の存在こそが、おばさんが「この家は焼けないわ」と言い切る根拠なのです。

おばさんも妙だと言っていましたが、何代にもわたって子孫を呪うと同時に祝福もしているという歪さ。未来永劫苦しめ、その財産が何百万もの屍の上に成り立っていることを思い知れ、ということなのでしょうか。

終戦

良夫のキャラクターは作者の投影と思しきところがあり、戦時中の生活や精神状態に関して真に迫った描写が続きます。

8月13日。敗戦について明後日公式発表があるはずだ、とおばさんから告げられた良夫。とても受け入れられませんでしたが、事実その通りになりました。

「あんな予言をしたから、日本が負けたんだ」──行き場をなくした怒りは、おばさんに向かいます。

こういうめちゃくちゃな発想をしてしまう瞬間ってありますよね。

そしてついに良夫は、この家における最大のタブーを犯してしまいました。2階の部屋を見たのです。

くだんと母

※以下の内容には結末部分に関するネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

鯉について「でも奇形の方が値打ちのある事もあるのよ」と語ったとき、また「死せる我が子にささげる悲歌(エレジイ)」を弾いていたとき、おばさんの心の内はどのようなものであったでしょう。

良夫が目にしたのは牛頭人身の娘。件(くだん)、その漢字が示す通り半分人で半分牛の異形でした。

この場面を読んで、私は怖いというよりもまず悲しい気持ちになりました。

赤い振袖姿がこの状況に不釣り合いで不気味なような、鮮血を連想させるような……。しかしそれと同時に、彼女がまだ13、14歳の少女に過ぎないという幼さも際立たせていると思います。

くだん・・・は歴史上の大凶事が始まる前兆として生まれ、凶事が終わると死ぬと言う。そしてその間、異変についての一切を予言するというのだ。

他の同じ年頃の子どもたちのように外で遊べず、予言でわかる世の中のことといえば悪い出来事ばかり。ひどい境遇です。

家の安全が守られるのと引き換えに、わが子がつらい思いをするのではたまりません。屋敷が焼失しようが、娘が平和になった世界で元気に長生きしてくれるほうがずっといい。それが親心ではないでしょうか。

おわりに

良夫の回想として語られてきた物語は、現在(作中では1967年)に視点を移し、幕を下ろします。世相を反映した不穏なラストに背筋が寒くなりました。

タイトル通り親の苦悩に焦点を当てた作品でもあり、もしかすると今もどこかで……とふと考えてしまいますね。