前回の記事に続き、今回も「件(くだん)」をモチーフにした作品をご紹介します。本作は短編集『冥途』等に収録されている内田百閒の小説です。
あらすじ
「からだが牛で顔丈人間の浅間しい化物」──件として広野に産み落とされた「私」は、前世で人間であった頃の記憶を呼び起こす。
件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだと云う話を聞いている。
そのうち、おびただしい数の人間が広野に集まりだした。どうやら彼らは「私」の予言を聞きに来たらしいのだが……。
内容紹介と感想
余命3日の予言獣
「件」は一般に予言獣として知られる妖怪です。
江戸時代あたりの伝承に合致しているのは、本作主人公のような人頭牛身タイプ。のちに派生して、性質の異なる牛頭人身タイプの話も登場するようになったようです。
また、件伝説にはいくつかバリエーションがあり、アマビエや白澤などとの類似点も指摘されています。
本作に関わりのありそうな例でいえば、幕末の錦絵「件獣之写真(くだんじゅうのしゃしん)」には「吉凶を示(しめし)三日にして落命」と書かれているとのこと。
転生したらくだんだった件
さて、気がついたときには「件」に生まれ変わっていた「私」。母牛はどこにも見当たりません。
怪物になった主人公と周りの人々の反応を描いているという点に着目すれば、カフカの『変身』めいたところもなきにしもあらず。しかし個人的な印象としては、どことなく「ゆるい」雰囲気が漂っているのが本作の特徴であると思います。
というのも、「私」が困った状況に置かれているのは確かなのですが、やや淡々とした語り口のせいか、いまいち切羽詰まった感じがしないんですよね。
数日で命が尽きるって噂だけど、どうせこんな化物の姿だし、まあいっか……というノリなのです。
くだんを観察する人間、人間を観察するくだん
そうこうしているうちに人間が広野に大集合。彼らは「私」の周りに柵を設置し、四六時中様子をうかがっています。「私」が水を飲むだけでも、ざわざわどよどよ。
「件」について描いているようでいて、その実それを取り巻く人々が一喜一憂するさまを描いているようなシニカルさを感じます。
たまたまなのですが、先日ヒツジを見てきた私。本作を読んでいると、ヒツジ側はあの時「俺は普通に草を食べているだけなのに、ワーワー騒いでなんだあいつ」とか思っていたのかも、なんて考えてしまいました。
予言ができないくだん
「私」の気がかりは、何も予言しなかった場合、怒った人間にいじめられるのではないかということ。寿命がわずかしかないとしても、その点は別問題ですよね。
ところが困ったことに、タイムリミットが迫りつつあるというのに予言の内容がまったく頭に浮かんでこないのです。
こんな「私」の当惑などつゆ知らず、なかなか口を開かないということは何かとんでもない予言をするのでは?と、群衆は一方的に期待を膨らませていきます。
しかし、その中の一人がこう言い出しました。内容の良し悪しを問わず予言を聞くのが恐ろしい、予言をしないうちに殺してしまえ、と。
なんとその声の主は人間時代の「私」の息子ではありませんか。息子をよく見ようとして「私」が前足をあげたとたん、すっかり恐れをなした群衆はちりぢりになってしまいました。
自分たちの期待や不安を「件」に投影し、右往左往する人間の姿がなんとも滑稽です。
ブレイクタイム
取り残された「私」の気持ちには変化が生じていました。こうなると妙なもので、生への執着がわいてきます。
事によると、予言するから死ぬので、予言をしなければ、三日で死ぬとも限らないのかも知れない、それではまあ死なない方がいい、と俄に命が惜しくなった。
目から鱗が落ちるというか、ここにきてまさかの逆転の発想。「何だか死にそうもない様な気がして来た」という言葉で物語は終わります。
実際に主人公が「件」として長生きできたかどうかは定かではありませんが、こういう前向きな精神はプラスに働きそうですね。読んでいる私もつられて元気が出てきました。
おわりに
ユーモラスで不思議な読後感を残す『件』。小難しくもなく、ごく短い作品ですので、一度気軽に読んでみてください。肩の力を抜いて楽しめると思います。