今回紹介するのは、ラヴクラフト作『狂気の山脈にて』(原題:At the Mountains of Madness)。いわゆる「クトゥルフ神話」にまつわる作品のひとつです。
なお、本記事では創元推理文庫『ラヴクラフト全集4』の大瀧啓裕訳を参考にしています。
あらすじ
これは、1930年から31年にかけて南極大陸に滞在したミスカトニック大学探検隊の隊長、地質学者ダイアーの手記である。
探検隊の主目的は、最新のドリルを使った岩石や土壌の確保にあった。深層部から採取された粘板岩は生物学者レイクの好奇心を刺激し、彼のパーティーは先んじて北西部の調査に向かうことになる。
その後レイクから入った通信によると、彼らはエヴェレストを越える大山脈を発見したという。さらに、植物とも動物とも判断のつかない樽状の生物の化石14体分を掘り出したとの報告が続く。
レイクの熱のこもった話に沸き立つダイアーたち。ところが、吹き荒れる強風の影響のためか、連絡が途切れてしまう。
先行隊を追いかけ、レイクのベースキャンプにたどり着いたダイアーらが目にしたのは、信じがたい惨劇の跡だった……。
内容紹介と感想
極寒の地、狂気山脈にて
伏せられた真実
世界最大の山脈を望んだ際、ダイアーはそれが「邪悪なもの」、「呪われた窮極の深淵を見はるかす、狂気の山脈である」との感想を抱きました。その時の印象と違わず、探検隊は次々に恐ろしい体験をすることになります。
南極での事件は探検隊メンバーに深い心の傷を残しました。あまりの出来事に生存者は示し合わせて口を閉ざし、一般的な探検で起こりうる範囲での不幸な事故があったとしか報告しませんでした。
しかし、さらに大がかりなスタークウェザー=ムーア隊の派遣が計画されるに至り、ダイアーは重い腰を上げ、警告のために筆を執ることに決めたのです。
生還者の告白
ある程度覚悟をしていたものの、徐々に明かされていく衝撃の事実には背筋が凍る思いをしました。
恐怖心は想像力を一層かき立てるものです。それゆえに、手記という形式は怪奇小説と相性がよいのだと言えるでしょう。
一方で、注意喚起という目的を踏まえると「早く核心に触れればいいのに」と思わないでもありませんでした。ただこれに関しては、記憶を呼び起こすのにたいへんな苦痛を伴うため、なるべく書くのを先延ばしにしたい、というダイアーの心情が一因のようです。
なお、本作における南極のイメージは、エドガー・アラン・ポオの長編小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(原題:The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket/創元推理文庫『ポオ小説全集2』等に収録 )の影響下にある模様。実際、作中でも『アーサー・ゴードン・ピム』に言及している場面があります。
キャンプ地の惨状
行方不明の院生ゲドニーと犬1頭を除き、レイクのパーティーは全滅。また、化石標本8体と備品の一部が消えていました。残された標本6体は、奇妙な星型の塚に埋められており、丁重に葬られたかのように見えます。
常識的範疇で考えるならば、精神に異常をきたしたゲドニーが凶行に及んだ、という推論が導かれるのでしょう。
しかし、ここで問題となってくるのがレイクたちの遺体の状態です。彼らの体はずたずたに切り裂かれていました。こんなことが人間に可能なのか?
レイクが発見した化石は『ネクロノミコン』(作中に登場する架空の魔導書)に出てくる神話上の生物〈古のもの〉に類似した特徴を持っていました。こうした情報が嫌な予感に拍車をかけます。
しかし、本当の恐怖はこの先にあったのです。
未知への好奇心
ダイアーと院生ダンフォースは、ゲドニーを探すために飛行機で山脈越えを試みます。そしてついに〈旧支配者〉(古のもの)が作り上げた古代遺跡を見つけました。
それまでも山肌の立方体やきれいに整った洞窟の入り口など、何者かの手が入っていることをうかがわせる描写はありましたが、これはもう決定的です。
好奇心に突き動かされた2人は、どんどん遺跡の奥に入り込んでしまいました。ここで早々に引き返していれば、あんな事態にはならなかったというのに……。
ヒマラヤへ、南極へ、宇宙へ──。人間というのはどうして秘境の地、未知の存在に惹かれてしまうのでしょう。もちろん資源開発等も理由に含まれるのでしょうが、結局のところ、根底にあるのは単純な好奇心なのかもしれません。
太古の〈旧支配者〉
博物館のような場所に着いたダイアーとダンフォースは、〈旧支配者〉の歴史を紐解いていきます。
簡単に言ってしまえば、彼らは大昔に地球にやって来た宇宙人でした。ここでは「ショゴス」、「クルウルウ(クトゥルフ)」、「ミ=ゴ」など、その他の神話生物の名称と抗争についての話も登場します。
〈旧支配者〉について知ったダイアーは考えました。現生人類と姿かたちは違っても、彼らは確かに「人間」だったのではないか、と。
一度〈旧支配者〉の視点に立ってみましょう。冷凍睡眠状態になって久しぶりに目が覚めてみたら、見たこともない二足歩行の動物に捕まっているわ、謎の四本足の動物はワンワン吠えているわ、同胞は解剖されているわで、きっとパニックになったに違いありません。
自分の身を守ろうと行動するのは至極当然の反応であり、決して〈旧支配者〉が残忍な性質を持っていたわけではないのです。ダイアーはレイクたちだけでなく〈旧支配者〉に対しても憐憫の情を抱かずにはいられないのでした。
テケリ・リ!
〈旧支配者〉が衰退した一方、被支配者層であった不定形生物ショゴスが力を強めていったという経緯は、H・G・ウェルズ作『タイム・マシン』に出てくる未来人エロイとモーロックの関係のようでもあります。
ダイアーたちが耳にした笛のような音。それは、『アーサー・ゴードン・ピム』に登場する巨鳥が発する言葉「テケリ・リ! テケリ・リ!」と似た響きを持っていました。これこそがショゴスの声だったのです。
追跡の手を逃れ、無事に帰還できたものの、ダンフォースは神経症を患うほどのトラウマを抱えることになりました。ダイアーは後続の探検隊に調査を控えるよう警鐘を鳴らし続けています。どうか寝た子を起こすような真似をしてくれるなよ、と。
クトゥルフ神話ができるまで
そもそも「クトゥルフ神話」(英語ではCthulhu Mythos、日本ではクトゥルー神話などとも訳される)とは、いったい何なのでしょう?
あまり自信はありませんが、以下にクトゥルフ神話の成立背景とその後の展開をざっくりまとめてみました。