『九マイルは遠すぎる』(The Nine Mile Walk) は、寡作な作家ハリイ・ケメルマンによる珠玉の短編集。表題作を含め、全8作品が収録されています。
探偵役は、英文学教授のニコラス(ニッキイ)・ウェルト。いわゆる安楽椅子探偵に分類されます。
『九マイルは遠すぎる』
あらすじ
わたしのスピーチの失敗について話しているとき、ニッキイ・ウェルト教授は言った。「推論というものは、理窟に合っていても真実でないことがある」と。
さらにニッキイは、十語程度の短い文章から思いがけない論理的推論を導き出すことも可能であるという。そこで、わたしが提示した一文は……。
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」
内容紹介と感想
言語学に造詣が深いニッキイ。彼の主張から思考実験が始まります。ごく短いセンテンス、限られた情報から、その言葉がどのような状況下で発せられたか類推しようというのです。
要は一種の言葉遊びですね。子どものころにした「いつ・どこで・だれが・なにをした」ゲームを少し思い出しました。
ニッキイは、この発言者はうんざりしている、雨を降るのを予想していなかったのだ、というごく単純な点から指摘していきます。ところが、筋道を立てて検討を重ねていくうちに恐ろしい事件の真相が明らかに……。
幕開けから犯罪発覚までの流れるようなストーリー展開にひきつけられます。作者の手腕の見事さに、この一篇だけでミステリー史に名を残すのに十分値するのではないかと思わされること間違いなし。
同系統の構造のオマージュ作品が生まれるのも納得ですね。
ちなみに私が表題作以外でお気に入りなのは、対照的な兄弟にまつわる事件『わらの男』(The Straw Man)と、学会開催中の町が舞台の『おしゃべり湯沸かし』(The Whistling Tea Kettle)です。後者は、「隣室でお湯を沸かす音が聞こえたから」という理由で犯罪を未然に防ぐユニークな話です。
おわりに
群検事である「わたし」の軽い語り口に、ニッキイの穏やかながらも鋭い論調。短編なのもあって、どの話もさらりと読めます。
安楽椅子探偵の極致ともいえるニッキイの活躍、みなさんも一度読んでみてはいかがでしょうか。
追記:オマージュ作品について
せっかくなので、本作『九マイルは遠すぎる』のオマージュと思しき作品についても紹介したいと思います。
短い文章で表現された(あるいは表現できるような)状況について話し合い、詳しい背景を推理した結果、何らかの犯罪が発覚するというのが基本的な流れですが、変化球タイプもありますね。
都築道夫「ジャケット背広スーツ」
『退職刑事 (1)』収録。現職刑事の息子の話を聞いて、退職刑事の父が真相を導き出すという、安楽椅子探偵もののシリーズです。
身に着けた上衣のほか、さらに2着の上衣を手に持った男。この人物が見つかれば自分のアリバイは証明されるはずだ、と事件の容疑者は主張しています。うそにしては奇妙であり、かえって話の信憑性は高そうなのですが……。
ある事件の証人について考えていたはずが、別の事件が引きずり出されるというストーリー。『九マイルは遠すぎる』的展開に加え、ダイイングメッセージを扱っており、トリックの二本立てとなっています。
有栖川有栖「四分間では短すぎる」
『江神二郎の洞察』収録。学生アリスシリーズの1作品。
主人公が京都駅を利用した際、隣で電話をかけていた男性の言葉が偶然耳に入ります。
「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」
妙な言い回しが気になった主人公。推理小説研究会の飲み会でこの話をしたところ、酒の肴に九マイルは遠すぎるゲームをしようと大いに盛り上がることに。
なお途中、松本清張の『点と線』に関する話題が出てくるので、そちらを未読の方はご注意ください。
また、京都駅周辺の路線を知っていると、より展開を楽しめるかもしれませんよ。
北森鴻「九枚目は多すぎる」
『なぜ絵版師に頼まなかったのか』収録。明治期における東大のお雇い教師、エルウィン・ベルツを探偵役に据えた異色ミステリー。
娘の嫁入り先を探す5年前の新聞広告と、現在の事件のつながりとは?
タイトルは明らかにパロディ。ただし、ストーリーは『九マイルは遠すぎる』の手法ではありません。
新聞記事に意味があるであろうことはだれにでも予測がつくでしょうが、重要なポイントが実は……というひねりが効いた一篇。
鯨統一郎「九町は遠すぎる―八百屋お七異聞」
『歴史はバーで作られる』収録。
「九町ものの道を歩くのは容易じゃない。まして引越しなるとなおさらだ」
バーに集まるいつものメンバー。避難先の寺と八百屋お七の家の間が九町というのは、距離がありすぎるのではないか──この疑問が口火となって、今日も今日とて歴史の新解釈が次々と飛び出します。八百屋お七の本当の罪とは何なのか?
突拍子もない意見が次々と飛び出すので、好みがわかれる作品かもしれません。
西澤保彦『麦酒の家の冒険』
匠千暁(タック&タカチ)シリーズの1作品。
ドライブの途中で迷い込んだ山荘にあったのは冷蔵庫とベッドだけ。大量に残されたビールにジョッキ、これらはいったい何なのか?
ビール片手に大学生4人が推理を繰り広げる、ノリのよい長編ミステリーです。
『九マイルは遠すぎる』系ミステリーは、短編形式の方がそのスマートさが活きるように思うのですが、そのあたりは好みですかね。
恩田陸「待合室の冒険」
『象と耳鳴り』収録。
列車の遅延で足止めをくらった退職判事の父と現役検事の長男。周りにも落ち着かない様子で携帯電話をかけている人がいます。
「──だからさ、電車が止まっているんだから、仕方無いじゃないか。(中略)いいか、七時三分に迎えに来てくれ。間違えるんじゃないぞ」
時間つぶしに父が『九マイルは遠すぎる』を読んでいたこと気づいた息子が、ふと疑問を発します。人が駅に、もっと言えば待合室に来るのは何のためだろうか?と。
この後、息子は同じ待合室にいた男を現行犯逮捕することに成功。男の言動に見られる小さな違和感や、親子の雑談内容がヒントです。
古野まほろ「あとは両替にでも入るしかないか」
『天帝のみはるかす桜火』収録。天帝シリーズの1作品。
〈携帯もダメならUターンもできない、あとは両替にでも入るしかないか〉
刑事の「僕」は、喫煙所で聞いた中年男性の独り言について、なぜか偶然出会った女子中学生と話し合うことに……。
オチを読んでちょっと苦笑いしてしまいました。この2人、どっちもどっちというか、なかなかの曲者ですね。
なお、2023年に発売された同作者の『ロジカ・ドラマチカ』は、この「あとは両替にでも入るしかないか」をプロトタイプとしているそうです。
【自書エッセイ】ましてや本格ならなおさらだ ロジカ・ドラマチカ(作者公式サイト)
青崎有吾「十円玉が少なすぎる」
『ノッキンオン・ロックドドア』収録。
依頼者が少なく、暇なお正月。探偵事務所のアルバイトをしている女の子が、雇い主の探偵2人に謎解きをしかけます。
『十円玉が少なすぎる。あと五枚は必要だ』
この発言の意図するところとは?
小銭が必要な状況といえば、最初から比較的条件が絞られるように思えます。しかし、今は便利な世の中。「あえて」そうする必要があった理由が問題となってくるのです。
ちなみに本シリーズは2023年にドラマ化もされました。
阿津川辰海「占いの館へおいで」
『午後のチャイムが鳴るまでは』収録(第4話)。
「星占いでも仕方がない。木曜日ならなおさらだ」
占い研究会の部室前で、誰かが独り言を言っています。文化祭の出し物「占いの館」と何か関係があるのでしょうか?
会話を通して事件性に気づく定番の流れですが、不正行為の内容が学園ミステリーならでは、という感じがします。
米澤穂信「心あたりのある者は」
『遠まわりする雛』収録。アニメ『氷菓』の原作、古典部シリーズの1作品。
『十月三十一日、駅前の功文堂で買い物をした心あたりのある者は、至急、職員室柴崎のところまで来なさい』
何やら含みのある校内放送を聞いた主人公とヒロイン。この放送がされた背景について議論を戦わせることにします。
完全に『九マイルは遠すぎる』パターンですね。議論が始まる前と終わった後の2人のやりとりも含めて、元ネタを踏襲しています。
こちらの小説やアニメしか知らないという方には、ぜひルーツである『九マイルは遠すぎる』も読んでほしいところです。