尾崎翠『地下室アントンの一夜』『歩行』

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今回は、『ちくま日本文学004 尾崎翠』より、連作短編『地下室アントンの一夜』および『歩行』をご紹介します。

作者と作風について

私が尾崎翠の存在を知ったのは、比較的最近のことでした。
きっかけは『KYOTO本屋さん紀行』に掲載されていた短いエッセイで、そこで編集者の早川茉莉さんが尾崎翠作『こほろぎ嬢』について触れていたのです。

取り上げられていたのは、図書館に出かけたこほろぎ嬢が「ねぢパン一本」を買って食べるというシーン。タイトルといい内容といい、なんて個性的なのでしょう。この作品が気になってきた私は、『ちくま日本文学』シリーズを手に取りました。

尾崎翠は、大正から昭和初期にかけて作品を発表していた鳥取生まれの女性小説家です。
度々ヒロインとして登場する小野町子をはじめ、そのおばあさん・お兄さんなどは、作者自身やその周辺人物をモデルにしているように思われます。

その不思議な作風は、しいて言えば少女漫画的。しかしながら、一口に説明するのは難しいところがあります。文学少女然とした雰囲気かというと、必ずしもそんなことはなく、大学に通っていた実兄の影響もあるのか、理系的な要素さえ見受けられるのです。

そうした独特の作風や同い年であることから、尾崎翠は宮沢賢治と並べて語られることもあり、現在では再度注目を集める存在となっています。

内容紹介と感想

『地下室アントンの一夜』―ある夜、詩人の心の部屋にて

僕は、恋をしているとき恋の詩が書けないで、恋をしていないときに、かえってすばらしい恋の詩が書けるんです。僕を一人の抒情詩人にしようと思われたら、僕の住いに女の子の使者なんかよこさないでください。

詩人の土田九作は、白いカラスについての詩を書いたことで、義兄(お姉さんの夫)の松木氏の不興を買ってしまいました。動物学者である松木氏は、九作が次におたまじゃくしの詩を作るつもりであると聞き、季節外れのおたまじゃくしをふ化させます。義弟が実物に即した詩を書くように、という意図です。

実験派ではない九作にとっては、ただでさえ余計なお世話。なのに、おたまじゃくしを持ってきた人物はさらにやっかいな問題となりました。それは、失恋した女の子だったのです。

恋に苦しみ、ため息ばかりつく小野町子の姿を見て以来、九作は詩に取り組むどころではなくなってしまいました。大方お察しの通り、九作自身が恋に落ちちゃったんですね。

一方その頃、松木氏は、あまのじゃくな九作にまたしても腹を立てていました。「余の拳固が勝ったら、蒼いスピリット詩人は、一撃のもとに実証派に転向だ」と意気込んで外出します。
この松木氏は、頭が固すぎて逆に笑えるキャラクターになっており、個人的にお気に入りです。こうしたユーモラスな一面も尾崎翠作品の特長でしょう。

さて、互いに相手を殴ってやりたい衝動にかられ出かけていく九作と松木氏。「一人の詩人の心によって築かれた部屋」であるところの地下室にたどり着きます。『歩行』で失恋した町子は、空漠とした心理にあると述べていますが、まさにそうした心境を反映した空間であったのでしょう。

さらに町子の想い人・幸田当八氏が姿を見せ、似たところのまるでない三名が一堂に会することとなりました。ここに一種のトライアングルが完成し、奇妙だけれど爽やかな夜がふけていくのです。

『歩行』―彼の人の面影を忘れかね乙女は歩く

おもかげをわすれかねつつ 
こころかなしきときは
ひとりあゆみて 
おもひを野に捨てよ

『歩行』は、『地下室アントンの一夜』の前日譚にあたり、こちらは小野町子が主人公。

このところ町子は、恋煩いのため屋根裏部屋にこもり気味でした。事情を知らないおばあさんは、孫がふさぎ虫にとりつかれているのは運動不足のせいだと早合点。おはぎをどっさり持たせて孫を松木家におつかいにやることにします。勘違いとはいえ、甘いものを食べて神経の疲れを癒してほしいという親心、いや、おばあちゃん心が泣かせます。

夕暮れの野を歩きながらも町子の脳裏をかすめるのは、幸田当八氏のことばかりです。町子は自然のなかで一層感傷的な気分になってしまい、兄の紹介がきっかけで二人が出会ったときのことを思い返します。

兄の知人である当八は、各地を転々として研究資料を集めている最中の心理学者。彼は今モデルを必要としているので、そちらを訪ねた折はよくしてやってほしい──兄からの便りには、そのような趣旨が書かれていました。

当時は外来語がそれほど知られていなかったのでしょう。モデルとは何だろう、と町子とおばあさんは頭を悩ませます。その後、おおよその意味を把握したおばあさんは、医者にとってのモデル=病人と解釈。それならば、変な文章ばかり書いている九作がぴったりだ、などと言い出します。おばあさんからの扱いも悪い九作が不憫。

しかし実際のところ、まんまと当八のモデルになってしまったのは、町子の方でした。
当八の大きなトランクの中には戯曲全集が入っており、町子はその台詞を読み上げるように指示されます。町子は、発音その他を通して人間心理を分析しているのだろうと考えますが、詳細はわかりません。
台詞はどれも激しい恋の言葉で(ひょっとすると現代の感覚ではそれほどすごい内容でもないのかもしれませんが)、最初のうち町子は恥ずかしくて口にすることができませんでした。

しかし、男性側の台詞を担当する当八が柿をむしゃむしゃ食べる様子を見て、不思議と気持ちがほぐれていきます。ほんの数日の間でしたが、二人は恋の言葉を交わし続け、町子は本当に恋をしてしまいました。内容を紹介しているこちらも、なんだか照れてきます。
そして、柿食う王子さまは町子のもとを去りました。彼が残したのは、空漠とした心理だけ……。

時は戻って現在。おはぎを届けた町子は、今度は九作の家におたまじゃくしを運ぶことに。こうして物語は『地下室アントンの一夜』に続くことになります。
『地下室アントンの一夜』の発言からすると、当八は、自分に向けられた町子の恋心を半ば自覚していた模様。女性の側からしてみると、そういうところが小憎らしいような、むずがゆい気持ちになりそうです。

おわりに

尾崎翠ワールドの雰囲気、何となくでも伝わりましたでしょうか。

『ちくま日本文学』には、上記の作品のほか、『第七官界彷徨』『アップルパイの午後』などの代表作が収録されています。

作品の背景はさておき、内容に関してはどれもまるで時代を感じさせません。そのみずみずしい感性は、今なお失われることなく、新鮮な驚きをもって迎えられるものであると思います。