今回は『妖怪ハンター 地の巻』(集英社文庫)収録作品から「生命の木」をご紹介します。阿部寛主演の映画『奇談』(2005年)の原作コミックです。
シリーズ概要
「妖怪ハンター」シリーズは、考古学者・稗田礼二郎(ひえだれいじろう)が各地でさまざまな怪異と遭遇するさまを描いた一話完結型の漫画作品です。
突飛なテーマにばかり関心を示す稗田は、学界の異端児。学生や一部のマスコミにつけられたあだ名が〈妖怪ハンター〉なのです。
タイトルを見て「妖怪退治をする話なのかな?」と思った方もいらっしゃるでしょうが、実際は違いますので、ご注意を。
まず、作中に登場する怪異の類は、一般的に「妖怪」と聞いてイメージするものとは異なる描かれ方をしています。
加えて、主人公の稗田が傍観者の立場(今回紹介する「生命の木」などに見られる解説役)にとどまっていることも多く、そういった点が本シリーズの特色といえます。
ちなみに「蟻地獄」というエピソードで女子学生が「稗田先生って沢田研二にちょっと似てない?」とおしゃべりしている場面が出てきますが、これは映画『ヒルコ/妖怪ハンター』(1991年)を踏まえた小ネタのようです。
生命の木
あらすじ
東北地方の隠れキリシタンの間に伝わる聖書異伝〈世界開始の科の御伝え〉に興味を持った「ぼく」。山奥の小さな村に到着すると、村中が殺人事件の噂で持ち切りであった。
被害者の善次は、本村からさらに奥まった場所にある集落、通称〈はなれ〉の住人らしい。
「ぼく」は本村の神父とともに〈はなれ〉に向かう。ところが、十数人いたはずの村人の姿がどこにも見えない。
残されたのは重太という老人ただ一人。彼に他の住民がどこへ行ったか尋ねても、まるで容量を得ず……。
内容紹介と感想
村人はどこへ?
重太から得られた情報は断片的ですが、次の通り。
- 他の住人は「いんへるの」に行った。
- それから、みんなで「ぱらいそ」に行く(ただし重太は行けない)。
- 善次の死には〈はなれ〉の全住民が関わっている。
- みんなで遺体を骨山に運び、釘を打ち付けた。
- 善次の死後、3日目に何かが起こる。
滅多に死人が出ない(なぜか墓もない)閉鎖的な集落で起きた大事件、まさかの集団リンチからの集団失踪。
動機はいったい何なのか、村人が向かった先はどこなのか、謎は深まるばかりです。
聖書異伝(1)
この地で信仰されている教義は独自の発達を遂げたらしく、〈御伝え〉には「じゅすへる」なる人物が登場します。
「じゅすへる(ルシファー)」が「あだん(アダム)をたばかり」、「あだん」は「でうす(神)」から食べることを禁じられていた知恵の木の実に手を出してしまいました。これに対し、「じゅすへる」は生命の木の実を口にしました。
結果として前者は知恵をつけ、後者は不死に。神話学でいうところの「バナナ型神話」(死の起源にまつわる神話の類型。二者択一の結果、死や短命を決定づけられる)のような伝説ですね。
そして「じゅすへる」の一族は、人口過多を懸念した神の呪いを受け、順次「いんへるの(地獄)」に引き込まれることに……。
聖書異伝(2)
生命の木自体は、おおもとの旧約聖書『創世記』にも登場するものです。
また、上の〈御伝え〉の内容からすると、「じゅすへる」は『創世記』の蛇の役割も担っていると思われます。蛇の正体を悪魔、サタン/サマエル/ルシファーとする見解は多いそうで、それゆえ「じゅすへる」というネーミングが採用されたのかもしれませんね。
このほかにも「三じゅわん(聖ヨハネ)」「けるびん(ケルビム)」など、聖書由来の単語が次々と飛び出しますが、ひらがな表記が独特の雰囲気づくりに一役買っています。
ちなみに、名作ホラーゲーム『SIREN』の世界観の一部は、こうした「生命の木」の設定に影響を受けているのではないか、というファンの意見もあるようです。
死体消失
※以下の内容には結末部分に関するネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。
神父は〈はなれ〉の住人の特質(あまり知性が感じられない)について、小さなコミュニティで近親婚を重ねたせいではないか、ともっともらしい推測をしていました。
普通のミステリーや超常現象が出てこないタイプのホラーなら、このまま終わっていた可能性もありますが、本作ではそうはいきません。
真相は、彼らが知恵の木の実を食べなかったほうの人間の子孫だから。
それはカトリックである本村の神父には認めがたい事実でした。「じゅすへる」の子孫を「ぱらいそ(天国)」へと導く存在、もうひとりの救世主が善次だったのです。
みんな ぱらいそさ いくだ!
おらといっしょに ぱらいそさ いくだ!!
方言まじりのセリフが強烈なインパクトを残します。復活した善次が起こした奇跡を前に、「ぼく」も稗田もただその場を離れることしかできないのでした。
裏切者?
涙を流しながら同胞を見送る重太の姿には同情を禁じえません。なぜこの老人だけが置いていかれたのでしょう。
彼は「じゅうた」、すなわち「じゅだつ(ユダ)」に相当する人物。「三じゅわん」に対して「わしを許してくだせ とりなしてくだせ」と懇願しているあたり、何らかの過ちを犯したことはうかがえますが、それ以上の説明はありません。
しかも重太と対になっているユダの裏切った理由がそもそも不明瞭で、そこからも考察しづらいという……。
悩んで検索したところ、重太が善次の死に積極的に関与しなかったのが原因ではないか、という仮説を見つけました。つまり、善次の復活を信じ切れなかった、ということです。
想像の域を出ないものの、こうした消極的態度のほうが重太の背信行為としては「らしい」気がします。村人の特質からして複雑な思惑が絡んでいるとは考えにくいですしね。
おわりに
『地の巻』収録作品で個人的に印象に残った作品は、ほかに「闇の客人」。祭の復興に伴い、50年ぶりに郷里に帰ったおじいさんと「鬼」の存在が異彩を放つ一編です。
タイトルからして「まろうど神(客人神/客神)」や民俗学者・折口信夫のいう「まれびと」を連想させますね。
「妖怪ハンター」シリーズでは、このようにホラーだけでなく、伝奇ものや民俗学が好きな方にもおすすめできるテーマが取り上げられています。
また余談ですが、同作者の「栞と紙魚子」シリーズもおすすめ。怖いけれど笑えるホラーコメディ寄りの作品です。「妖怪ハンター」のパロディが登場するエピソードもありますので、探してみてくださいね。