ダンテ『神曲』

古典文学
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今回は、イタリアの詩人・政治家であるダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の代表作『神曲』(La Divina Commedia)をご紹介します。ルネサンス期の芸術家にも大きな影響を与えた一大叙事詩です。

なお、本記事では河出書房新社の平川祐弘訳を参考にしています。

イントロダクション

時は1300年、ダンテ35歳。人生半ばで正道を踏み外し、気がつけば荒涼とした森の中に迷い込んでいた。

そこへ現れたのが、ダンテが私淑する大詩人ウェルギリウスである。彼は天国にいるベアトリーチェの依頼を受け、ダンテを迎えにきたのだという。

こうしてダンテは、生身のまま冥界をめぐる旅を始めるのだった。

概要

構成について

『神曲』は3部構成で、地獄篇34歌(序1+33)、煉獄篇33歌、天国篇33歌、計100歌から成る長編叙事詩です。

神聖な数字とされる3をベースにし、各篇のラストに必ず「星(stelle)」という語がくるなど、緻密な計算を要する均整のとれた作品構造を特徴としています。

物語の背景

『神曲』を読むうえで覚えておきたいのが、現実のダンテが置かれていた状況。政争に破れ、フィレンツェを追放されるという憂き目にあっていました。

作中の時代設定は追放(1302年)より前ですが、死者は予知能力を備えているという設定があるため、これから訪れる流浪の生活が要所要所で示唆されます。

絶望と希望、信仰心、自戒の念、詩人としての矜持、想い出の女性の神格化、偉人に向けられる敬愛、フィレンツェへの郷愁や愛憎、堕落した聖職者や国王に対する批判、政敵(特にボニファチオ8世)に対する恨み節などなど、ダンテのさまざまな思いが作品に昇華されています。

創作を通して救いを見出そうとしていたのでしょうか。

ただ、作者のさじ加減で知人や有名人を地獄送りにしたり、逆に恩人やご先祖様を天国・煉獄に配置したりと、相当に私情も入っていますね。こうした点に関しては、哲学者の西田幾多郎も公平性に欠けると評しているようです。

地獄篇(Inferno)

各自の罪に応じた罰が科され、第二の死を求めたくなるほどに苦しむ永劫の場所。それが地獄です。

個人的には、煉獄篇や天国篇より地獄篇のエピソードに強い興味を引かれました。寓話的に描かれているものの現世の延長線上にあり、それゆえに身につまされることの多いパートです。

地獄をめぐる旅
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以下では、印象に残った部分をピックアップしています。

暗い森の中で

獣のいる暗い森は、罪深い生活のメタファーとされています。

out of the woodsで「困難・危機を脱して」という意味の英語の慣用句もありますし、西洋では危険な状態を指す比喩として「森」を用いるのは一般的なんですかね。

心の師匠、ウェルギリウス(前1世紀ローマの詩人)に導かれ、まずは24時間地獄めぐりマラソンがスタート。

ダンテとしてはやはり同郷の人間が気になるようで、「亡者様の中にイタリア人はいらっしゃいませんか?」とばかりに声かけしつつ、下へ下へと道を進んでいきます。

地獄の門:望みなき永劫の地へ

『神曲』の中でも特に有名な一文、われを過ぎんとするものは一切の望を捨てよ(Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate)が出てくることでおなじみの地獄の門。

彫刻家ロダン(1840-1917)の未完の大作『地獄の門』がモデルとしているのがこれ。『考える人』も本来はその一部です。 

地獄前域では、善も悪もなさず無為に生きた半端者、天国からも地獄からも拒まれた亡霊たちがうめき声をあげています。

「彼らについては語るな、ただ見て過ぎろ」と言うウェルギリウス。こちらも頭の片隅に入れておきたいフレーズかもしれません。時と場合と相手によっては、このスタンスが活きることもあるのではないでしょうか。

第1の圏谷:辺獄(リンボ)

辺獄は、善良ではあるものの洗礼を受けていない魂(紀元前の偉人や徳の高い異教徒等)が来る場所であり、ウェルギリウスが普段いるのもここです。

辺獄では罰を与えられることはありませんが、天国に行くことも叶いません。

キリスト教圏のあの世のイメージなので、無宗教者や他宗教者への風当たりが強い感じがしますね。時代を考えるなら、むしろ寛容という見方もできるのかもしれませんが……。

地獄の入口:怪獣ミノスによる裁判

本格的な地獄が見られるのは第2の圏谷(たに)以降。入口にはミノスがいて、生前の罪を裁き、どの圏谷に堕ちるべきか決定しています。閻魔大王のような役回りですね。

ミノスはギリシア神話に登場するクレタ島の王で、死後に冥府の裁判官になったという伝説があります。

もっとも地獄篇で行われているのは普通の裁判ではなく、怪獣姿のミノスが長い尾を亡者に巻きつけることで判決を下すという風変わりなもの。

ちなみに、フランスの画家ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)が『神曲』をモチーフにした作品を描いているので、そちらをご覧いただくと情景が想像しやすいかと思います。

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ドレの挿画をすべて収録した単行本

第7の圏谷 第2円:自殺者の森

第6の圏谷より下はディースの市(まち)の内部にあり、特に罪の重い者が送られます。

暴力をふるった者が堕とされる第7の圏谷のうち、2つ目の領域には自分自身に危害を加えた者、すなわち自殺者や博打で身を滅ぼした者がいました。

ここでの描写がまた強烈で、樹木に変身した自殺者たちが怪鳥ハルピュイアイ(ハーピー)に葉をついばまれています。

木なので身動きはとれず、しかし意識と痛覚はあるという悲惨なありさま。擬人化ならぬ擬木化というか、ねじ曲がり節くれ立った奇妙な外見は、不安定な内面を反映しているようです。

第8の圏谷:悪意のある行為

地獄篇の約4割を占めるパート。10の悪の濠(マレボルジェ)で構成されています。

第5の濠:汚職収賄の徒が釜茹で状態

悪鬼のマレブランケが登場。比較的コミカルな展開が続き、出発の合図に「あっかんべー」したりするのが面白い。

大将マラコーダをはじめ悪鬼には各々名前があり、ただの獄卒のわりに個性がしっかり付与されています。

そのうち2匹が罪人の逃亡をめぐってもめにもめ、煮えたぎる瀝青(チャン)に落っこち焼け焦げて大惨事に。監督者側が何をやっているのやら。

第6の濠:重たいマントをつけた偽善者

偽善者がまとうマントの表面は金ピカですが、実は鉛製。彼らの外面のよさと腹黒さを視覚的にわかりやすく表現している罰だと思います。

その後、悪鬼のせいで崖を上ることになったダンテはへろへろです。そんな彼にウェルギリウスが怠惰は敵であると檄を飛ばしました。

地獄の亡者たちの二の轍を踏んではいけない、という戒めでしょう。学業でも「学問に王道なし」といいますし、地道な努力が大事なんですね。

第8の濠:炎に焼かれる謀略者

地獄にいても魅力的な人物として描かれている例があり、その一人がオデュセウスです。

オデュセウスは頭脳派のギリシア神話の英雄(トロイの木馬の作戦立案が有名)で、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもあります。

『神曲』における彼は、権謀術数を弄した者が堕ちる第8の濠で登場。非常に探求心の強い、ファウスト的衝動を持つキャラクターに設定されています。

第1の濠(女衒、女たらし)のイアソンなどもそうですが、死してなお英雄としての威容を保つオデュセウスは、数多の悪人たちの中で異彩を放っていました。

第9の圏谷:氷地獄コキュトス

裏切者が氷漬けにされている地獄の最深部はコキュトスといいます(ギリシア神話の「嘆きの川」が由来)。

裏切った相手(肉親・祖国・客人・主人)に応じて4つの円に分かれており、真ん中には神に反逆した悪魔大王ルチフェロ(ルシファー/サタン)がいます。

背信行為をとりわけ罪深いものとして配置しているあたり、ダンテの価値観というか、暗い感情が読み取れる部分でもありますね。

※次ページでは【煉獄篇】を紹介します。