ショーン・タン『遠い町から来た話』

今回は、オーストラリア生まれの作家ショーン・タンの『遠い町から来た話』(原題:Tales from Outer Suburbia)をご紹介します。

タイトルと作品の構成について

原題にあるsuburbiaというのは「郊外」のこと。訳者あとがきによりますと、「作者にとって、“アウター・サバービア”とは、平凡でありながらどこか非現実的な場所、おとぎ話に出てくる『森』のような、異界の入口のようなもの」なのだそうです。
これを踏まえると、『遠い町から来た話』というのは、マジックリアリズム的な要素のある本書のストーリーを非常に端的に表したタイトルだと言えるでしょう。

また本書の制作過程については、スケッチや落書きといった絵が先にあって、あとで物語ができあがっていったんだとか。このため長い物語はなく、短編集に仕上がっています。

イラストレーターとしても活躍している作者のタン氏。どのページを開いてもすてきな絵が目に飛び込んできます。基本的にはカラーですが、なかには白黒のイラストも。その1つ1つから単なる挿絵にとどまらない物語性が感じられ、画集として楽しむこともできる1冊です。

内容紹介と感想

読む前は、ティム・バートンやエドワード・ゴーリーの作品のようなダークファンタジーといいますか、ちょっと怖い感じのストーリーを予想していました(表紙が少々不気味に見えて何となくそう思ったのです)。

ところが実際に本を読んでみますと、ノスタルジックな気持ちになる作品ばかりでした。どのエピソードも現実に体験できるようなことではないのにもかかわらず、です。

これは思いがけないことでした。
ゆっくりと流れていた子どもの頃の時間。今では狭いとさえ感じるのに、昔は背丈が低いせいか、とても広く見えた場所。大切にしていたおもちゃ。
そういったものたちを思い出しました。

以下では、印象に残った物語の一部を紹介します。

「水牛」

町はずれにいる無口な水牛。彼は、悩める人々にただ方角を指し示すだけ。けれど、その行動はいつだって正しかったのです。

ひっそりとたたずむ、大きな大きな水牛の絵は、神々しさと温もりが同居しており、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しています。
守り神のような、子どもに優しいまなざしを向ける愛情深い親のような、そんな存在も今ではいなくなってしまいました。

「壊れたおもちゃ」

祝日の町で「ぼく」とお兄ちゃんが出会ったのは、潜水服を来て歩く謎の男。彼は日本語らしき言葉で何かをつぶやいています。
兄弟は、近所のとっても怖いおばあさん、通称「受難オババ」に男をけしかけようといたずら心を起こします。ところが、受難オババの反応は予想外のもので……。

表紙にもなっている潜水服の男にまつわるお話。想像の余地を残した書き方に情趣を感じる一篇です。

「他にはない国」

どこもかしこもぼろぼろのひどい家に住む一家。ある日、偶然家の中で〈隠し中庭〉を発見します。そこはとても広々とした空間で、こちら側とは季節が正反対の風変わりな世界でした。家族は、暗黙の了解として〈隠し中庭〉の存在を秘密にし、そこで過ごすことを楽しんでいたのですが……。

この話はお隣さんとの会話で締めくくられるのですが、そのオチが大好きです。うちにもこんな〈隠し中庭〉がほしい。

「名前のない祝日」

おなじみだけど起源不明の祝日。人々は、自分にとって一番大切な物を用意し、当日は夜のピクニックをしてその時を待ちます。そして真夜中が訪れると、「それ」は姿を見せるのです。

起源はちゃんと把握していないけれど、楽しいし何となくお祝いしている、というのは現実の祝日でもよくあることかもしれませんね。

この「名前のない祝日」は逆クリスマスといったところです。
大切な物を持ち去られる瞬間、「名前のない感情」に胸をしめつけられる──それはきっと、自分の身体の一部を切り取られるような、本当に言葉にできないほどの痛みを伴うものなのだと思います。この時奪われるのは、物だけでなく思い出でもあるのでしょうから。

「エリック」

数年前、交換留学生として「ぼく」のうちにホームステイしていたエリック。彼は勉強するときも眠るときも台所で過ごすことが多かった。母さんに言わせると、それは「お国柄」なのだそうだけれど……。

エリックの本名は私たち人間には発音が難しいらしく、本人が「エリックでいいよ」と言っているため、そう呼ばれています。
このエリック、イラストが白黒なのも相まって影が動いているように見えます。また、『UNRAVEL』というゲームに登場する毛糸でできたキャラクター「ヤーニー」にもちょっと似ているかもしれません。

何をお伝えしたいかというと、「とにかくエリックがかわいい!」ということです。車でお出かけするときにちょこんと座ってシートベルトを締めているところとか、小さな体でいろいろな物を手に取ってしげしげと眺めているところとか、一挙一動が愛らしい。

小さくてかわいくて好奇心旺盛で勉強熱心、でも何を考えているのかちょっとわからない。そんな友人に対して、本当にうまく接してあげられているのか、「ぼく」は時々不安になってしまいます。

でも、大丈夫。「ぼく」たちの気持ちはエリックにちゃんと伝わっていました。最後の絵には、エリックからの「ありがとう」がいっぱい詰まっています。 

おわりに

そのほか収録されているのは、おじいちゃんが語る大冒険の婚礼の旅、突然庭に現れた海獣ジュゴン、誰にも愛されなかった物からペットを手作りする方法など。これらは、派手さには欠けるものの、きらきらとした確かな輝きを内に秘めた魅力的な物語です。

日常の延長線上にある不思議な場所“アウター・サバービア”。すばらしいイラストと文章が織りなすストーリーが、その境界線へとつながる扉を開いてくれます。