内田百閒『東京日記』『サラサーテの盤』

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今回は、内田百閒『東京日記 他六篇』(岩波文庫)の収録作品の中から表題作『東京日記』および『サラサーテの盤』をご紹介します。

『東京日記』

あなた夜、どんな夢を見ていますか。夢日記をつけるのが好き、他人の夢の話を聞くのが好き、夢をモチーフにした作品が好き、そんな方におすすめしたいのが内田百閒の『冥土』や『東京日記』です。

初期短編集『冥土』は、師である夏目漱石の作品『夢十夜』の影響の下に書かれたとのこと。

ただし、『夢十夜』の場合は「ここは○○を象徴しているのではないか」「このエピソードは社会風刺となっているのではないか」といったふうに考察の余地が多分にあります。

対して百閒作品を読んだ時には、書かれている通りに受け入れるしかないというか、はるかに「夢」感が強い、という感触を得るんですね。

後期作品のひとつである『東京日記』でも、夢のような物語が展開されます。本作は短い23のエピソードからなっており、いずれも日常の延長線上で奇怪な出来事に遭遇するという筋書きです。

以下、『東京日記』の中で個人的に印象に残った箇所を挙げます。

  • 〈その一〉電車の線路を通り抜ける牛の胴体よりも大きなウナギ
  • 〈その三〉少し宙に浮いて走っている無人の自動車
  • 〈その四〉忽然と姿を消したかと思いきや数日後にあっさり復活する丸ビル
  • 〈その六〉犬のような狐のような獣の顔をしたトンカツ屋の客たち
  • 〈その十三〉「私」の家に続々と集まってくるミミズク
  • 〈その十六〉曲の緩急に合わせて体が伸び縮みするヴァイオリニスト
  • 〈その十九〉同窓会に参加するプロの泥坊や故人
  • 〈その二十〉トンネルの中でほのかに発光している金魚や人間

他にも夏祭りの行列が目にも留まらぬ速さで疾走していたり、町中を馬や狼がうろついていたり……。

本作にはここから先が異界であるという明確な境界は存在しません。唐突に不思議なことが起こって「私」がとまどっていても、周囲の人は平時と変わらぬ様子であったりするため、余計におかしみが増します。

タイトルにあるように東京が舞台であり、都内の地名や建物等が多数登場するので、土地勘があるとより楽しめるかもしれません。

『サラサーテの盤』

『サラサーテの盤』は、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』の原作小説のひとつです。

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原田芳雄主演、“大正浪漫三部作”の第1作。

このところ、おふささんが度々「私」の家を訪ねてくるようになりました。彼女は元芸妓で、1か月前に亡くなった友人・中砂の後妻。貸しっぱなしになっている中砂の蔵書やレコードなどを返してほしいのだそうです。

おふささんが探しているレコードは、サラサーテ自奏のチゴイネルヴァイゼン(「チゴイネルヴァイゼン」は、作曲家・ヴァイオリニストであるサラサーテの代表作です)。中砂が所有していたのは、何かの手違いでサラサーテの声が演奏中に吹き込まれてしまったという、一風変わった代物でした。

おふささんが決まって夜に顔を出すところも何となく不気味ですが、書名等を正確に把握している点も謎です。中砂は貸し借りした物をきちんとメモしておくようなタイプではなかったというのに……。

「中砂は、なくなって見ればもう私の御亭主でないと、この頃それがはっきりとしてまいりました。きっと死んだ奥さんのところへ行って居ります。(中略)でもこの子が可哀想で御座いますから、きっと私の手で育てます。中砂に渡す事では御座いません。」

『東京日記』でも時々死者の影がちらついていましたが、そこは本作も同じ。中砂の娘(前妻の遺児)のきみちゃんが霊界と交信している節があるのです。おふささん曰く、きみちゃんは夜中になると夢うつつの状態で中砂と会話している(ように思える)、その中で「私」の家のことを口にする、と。

さらに、最後の数行が何とも言えず不穏な雰囲気を醸し出しています。レコードをかけると、いつもとは調子が違って聞こえるサラサーテの声。その言葉を否定し、なぜか泣き出すおふささん。きみちゃんの不在。

きみちゃんは幼稚園に出かけているらしいのですが、本当にそうなのでしょうか。ひょっとすると、きみちゃんは中砂のもとへ……? 不協和音で終わるような、心に引っかかるラストです。

おわりに

百閒作品の中でも、ユーモアあふれるエッセイの数々と比べると、上記のような幻想文学寄りの小説は、読む人をかなり選ぶかもしれません。その反面、ある特定の層には非常に癖になる作風だ、とも言えると思います。

特に『東京日記』の場合、個々のエピソードにつながりはないので、情景を思い浮かべながら一話ずつじっくり読んでいただきたいところ。それぞれに独特の味わいがあります。