ポール・ギャリコ『ほんものの魔法使』

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今回ご紹介するのは、『雪のひとひら』『猫語の教科書』などで知られるポール・ギャリコ作のファンタジー『ほんものの魔法使』(原題:The Man who was Magic)です。

あらすじ

世界中の奇術師・手品師が集まる秘密都市マジェイア。旅人アダムと愛犬モプシーは、魔術師名匠組合(ギルド)に加入するべく、この地を訪れた。選考会の事前審査で驚くべきマジックを披露したアダムは審査員たちを感嘆させ、難なく本選出場を決定する。

ところが、精鋭ぞろいのプロマジシャンがどんなに頭をひねっても、アダムが用いたトリックが何なのかわからないのだ。やがて町では彼が「ほんもの」なのではないかという噂が流れ始め……。

メインキャラクター

アダム
遠い異国の地グリモアからやって来た若者。「ただの魔法」で選考会に臨む。

モプシー
アダムの相棒。ものいうむく犬。ジェインになついている。

ジェイン
市長の娘。魔術師志望の11歳。選考会ではアダムの助手を務めることになる。

無二無双ニニアン
のっぽの魔術師。今年3回目の受験で、最後のチャンスに賭けているが……。

偉大なるロベール
マジェイアの市長で、ギルドの議長兼審査員。アダムを自宅に招き入れる。

全能マルヴォリオ
ギルドの審査員の1人。反ロベール派の筆頭で、アダムを排除するべく暗躍する。

内容紹介と感想

元々はちくま文庫から出ていた『ほんものの魔法使』(矢川澄子訳)ですが、2021年5月に創元推理文庫で復刊されるに至りました。これは東京創元社内の宝塚歌劇ファンクラブ「ヅカ部」による熱心な活動の成果であったそうです。

実際、宝塚歌劇で舞台化されたことをきっかけに本作を知ったという方も多いのではないでしょうか。

魔法都市マジェイア

心温まるファンタジーとして評判の本作。その触れ込みに間違いはないのですが、思いのほか序盤からハラハラする展開が続きます。

物語の舞台となるマジェイアは、プロマジシャンとその関係者しか立ち入ることができない秘密都市で、ステージ衣装に身を包んだ人々がそこかしこで手品を見せ合っている楽しそうな町です。

そこへふらりと現れたのが不思議な旅人アダム(以前住んでいたというグリモアについては、おそらく魔法書等を意味するフランス語grimoireから来ているのでしょう)。古めかしい服を着て樫の杖を持ち、自分の姓や年齢さえも知らない彼は、マジェイアにあっても浮いています。

その目的はギルドに加入すること、すなわちこの町の魔術師たちに教えを請い、また自分の魔法を人々と共有することにありました。ところが、アダムの「ただの魔法」とは異なり、マジェイア市民にとっての魔術とは奇術・手品であるために、早々に雲行きが怪しくなっていきます。

ただのあたりまえの魔術

アダムが事前審査で披露したのは「ハンプティ・ダンプティ」。ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』でもおなじみのマザー・グースにちなんだ、卵を使ったマジックです。これが、割った卵を元通りに戻すという、シンプルでありながら非常にインパクトのある内容。もちろん皆はトリックに興味津々ですが、アダムは「ただの魔法」だと説明しました。

彼の魔法はあくまでタネも仕掛けもある手品だと思っているロベールなどにしてみれば、「こんなに丁重にもてなしてやっているのに秘密を明かそうとせず、ごまかしやがって」という話になってしまうわけです。

一方、アダムを「ほんもの」だと考えるマルヴォリオらは、「このままでは自分たちは廃業に追い込まれる、奴は黒魔術使いだ」と主張します。

もっともマルヴォリオ側につく人間はそれほど多いわけではありません。審査員の中には良識派もいるのが救いで、騒動が終わってみるとジェインの人物評はなかなかに正確であったことがわかります。

しかしながら、このような大騒ぎをよそに当のアダムはのん気なもの。彼は善良過ぎて人を疑うことを知らないタイプなのです。その分、名犬モプシーが注意深く周りを観察してくれているので、ちょうどいいコンビではありますが。気づけば、途中からはずっとモプシーを応援しながらストーリーを追っていました。

ちなみに、ものいう犬と言ってもモプシーの話はアダムにしか通じないため、印象としては『魔女の宅急便』の黒猫ジジに近い感じです。

少女の魔法の箱

市長の娘という立場であるにもかかわらず、ジェインはあまり幸福とは言えない環境に置かれていました。ロベール夫妻は手品が得意な兄をひいきにしており、面と向かってジェインのことを不器用だ、不格好だと言っては彼女の自信を失わせていたのです。

魔術師一家であるという点を除けば、現実にもありえそうな家族関係であり、こうした描写には読んでいて胸が痛くなりました。しかし、話を聞いたモプシーが怒ってくれるおかげで、多少溜飲が下がります。普段から言いたい放題で毒舌気味のモプシーですが、こういう時はありがたい存在ですね。

農場へピクニックに行った際、ジェインは身近なところにも魔法が存在していること、それだけでなく彼女自身もまた「魔法の箱」を持っていることをアダムから教わります。

あらゆる魔法中の魔法が納まっているんだ。これが、きみを過去へも運んでくれれば、未来をも夢見させてくれる。病気のときでもたのしくさせてくれるし、いやなこともよくしてくれる。人間のいままで成しとげたことは、すべてこの奇蹟の箱から生まれたものだ。これさえ上手に使いこなせば、きみは、いままで誰にも思いつかなかったことや成しとげられなかったことをやってのけられる。

アダムの言葉を受けて、ジェインの中で何かが変わりました。そう、「空想の魔法」が働き始めたのです。「できる」と「やってみせる」──ジェインのまぶたの裏に自分がマジックを成功させたイメージが浮かびます。

これからは努力が実を結び、ジェインの才能が開花していくであろうことは想像に難くありません。人の心を動かすこともまた、真の魔法のひとつであると思わせてくれる象徴的な場面です。

臆病者と魔術

「臆病と魔術は両立しない」とアダムが語る通り、気の弱いニニアンは本番で失敗ばかりしていました。

今年の事前審査はアダムの手助けにより通過できたものの、結果的にはありがた迷惑な事態に。「あの時のトリックについて質問されたらどうする?」「次の本選はどうする?」という問題が持ち上がり、対応に苦慮するはめになったからです。

脅されてマルヴォリオたちに余計なことまでしゃべってしまう一方、アダムの身に危険が迫っていると忠告したりするなど、根はいい人のニニアン。ふらふらしているようで、作中で一番人間味のあるキャラクターであるとも言えるでしょう。

彼はとても弱い人でした。けれど最後には、過去の過ちを反省し、自分の弱さやアダムへの嫉妬心を認める強さを得ることができたのです。ずっと中途半端だったニニアンが最終章でした決心には、じんと来るものがありました。

対して、アダムの件をいまいち割り切れずにいるマジェイア市民のその後は、少々心配になってきます。私は終盤の群衆心理の暴走に恐怖しました。いくらマルヴォリオが非道な人間であったと言っても、あの終わり方はあんまりなのではないか、と。

のちに市民たちはアダムへの仕打ちを恥じていますが、その心にはしこりが残りました。結局は、彼らもまた自分たちとは違う存在を受け入れられない臆病者であったということ。こうした点が本作の一筋縄ではいかないシビアなところです。

おわりに

使い方次第で星へ行く道さえも見つけられるという「魔法の箱」。
本作を読めば、ジェインのようにあなたも魔法の箱を開くための鍵を手に入れられるかもしれません。そしてそれは、あなたの夢の翼を大きく広げてくれることでしょう。

『ほんものの魔法使』、われわれに「魔法」とは何なのかを問いかける名作です。