マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』

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『アーサー王宮廷のヤンキー』(原題:A Connecticut Yankee in King Arthur’s Court)は、現代のアメリカ人技師が中世ヨーロッパで大活躍するという筋書きのタイムスリップもの。作者は、『王子と乞食』や『トム・ソーヤーの冒険』などで知られるマーク・トウェインです。

あらすじ

英国の古城を見学中、私M・Tは奇妙な男に出会った。やけに昔の甲冑に詳しい彼は、円卓の騎士を身近な友人か何かのように語るのだ。そして私は男の体験談をまとめた本を託される。

男(ハンク)は19世紀のアメリカで生まれ育ったヤンキーであった。ある日、職場で大喧嘩をした彼は頭に強烈な一撃をくらう。意識が戻ると、目の前には馬上の騎士が。時は528年6月、ハンクはなんとアーサー王治世下のキャメロットに転移していたのである!

内容紹介と感想

アーサー王伝説については、いろいろなパターンがあるものの、本作は主にトマス・マロリー著『アーサー王の死』をベースとしているようです。

なお、タイトルにあるヤンキーは、アメリカ北東部に住む人々を指す俗称で、人名ではありません。日本版を考えると、「邪馬台国の江戸っ子」のような感じでしょうか? 

大魔術師、見参

キャメロットでいきなり火あぶりにされかけるハンク。しかし、この状況を打開する妙案を思いつきます。ほどなく日蝕が起こるという歴史的知識を持っていたため、その現象が自分の力によるものであるかのように振る舞ったのです。

こうしてハンクは一転VIP待遇を受けるようになり、「ザ・ボス」と呼称されるまでになります。この一連の流れは、『オズの魔法使い』のようでもありますね。

一方、魔法使いの老人マーリンは、すっかり立場を失くしてしまいました。この事件は尾を引き、再三の対決に発展します。

文明開化

本作の主人公は、文明レベルの異なる過去の時代や異世界で活躍するキャラクターのはしりと言えなくもないでしょう。

19世紀の軍需工場で監督の立場にあったハンクは、武器でも機械でもたいていのものは作れると自負しています。持てる知識と能力を総動員して、ロビンソン・クルーソーよろしく多くの道具や制度を生み出していくのです。例を挙げると、

  • 【制度面】学校、職業訓練、特許局、公衆道徳省兼農林省、囚人解放裁判、保険
  • 【経済・産業面】大工場、鉱山、新貨幣、株式市場、鉄道、蒸気船
  • 【軍事面】ダイナマイト、銃、常備軍、陸海軍士官学校
  • 【情報通信技術・メディア】電信・電話、新聞、スナップ写真
  • 【日用品】タバコ、マッチ、石けん、歯磨き、万年筆、ミシン、シャツ

非常に多岐にわたっています。物語後半では、アーサー王たちが野球に興じるという面白い一幕も。

われわれは主人公よりもさらに100年以上文明の進んだ時代に生きていますが、タイムトラベルしたとして、これほどうまく立ち回れる人はまずいないでしょう。ただ、具体的に何をどうやったのか作中であまり触れられていない点は、少々惜しいところです。

価値観の相違

言語や作法の違いは、一度覚えてしまえば何とかなります。しかし、価値観のギャップを埋めるのは困難です。6世紀の人々との世界観(設定・雰囲気等でなく、本来の意味でのものの見方という点で)の差は、ハンクにとって大きな壁でした。

ドン・キホーテ症候群?

囚われの姫君がいる鬼の城──そう言って案内の女性が指し示した先はまさかの豚小屋。話を誇張しているのは予想できていましたが、さすがに唖然としました。この時代に来て数年経過していたハンクでさえ引いていたのですから、相当です。

内心はどうあれ、それをなるべく表に出さず辛抱強く付き合う主人公。周りがドン・キホーテだらけのような状態で、言葉は通じるけど話が通じない感じがつらいですね。

家柄というもの

血筋を重んじる時代にあって、どんなに感心したり恐れを抱いたりしても、人々は当初ハンクを尊敬に値する人物だとは考えませんでした。まるで珍獣扱いです。

主人公は主人公でそんな彼らを軽蔑しているふしがあり、共和国実現への布石として、先進的な考えを持つ人々を集めて教育する「人間工場」の活動に力を入れます。

支配する者とされる者

この時代、大多数の国民が一部の特権階級のもとで苦汁をなめており、真の自由は存在しません。「おまえの物は俺の物、俺の物も俺の物」というジャイアンのような考え方が領主たちの間でまかり通っているわけです。悪女モーガン・ル・フェイの牢屋に閉じ込められた囚人たちの描写は凄惨で、読んでいて胸が痛くなりました。

また、ハンクは奴隷制度を嫌悪しています。『ハックルベリー・フィンの冒険』同様、南北戦争前後の時代を生きた作者の問題意識を強く感じる部分ですね。

残念ながら、支配者にせよ被支配者にせよ、生まれた瞬間からこの体制下にある人々は、それを疑うこと自体めったにありません。お忍びの旅に出たアーサー王も、農民のふりをするにあたりその窮乏ぶりをハンクから聞かされますが、全くぴんと来ない様子です。

しかし、天然痘に冒された母子を目の前にしたとき彼が見せた優しさに、ハンクは高潔さを感じます。さらにアーサー王は、トラブルで奴隷商人に買われ暴力を振るわれたときも人間性を失わず、今や奴隷制度に最も強い関心を抱く者になりました。直接経験が、王にとってお話の中の世界であったものを現実に変えたのです。

最盛期、そして・・・

奴隷制度の廃止や参政権の導入に成功したハンク。目指すは無血革命からの共和国実現です。対してザ・ボスの右腕クラレンスは、「一度君主制のもとに置かれた国民は敬慕の対象を失うと不安定になるのでは?」と考え、立憲君主制を支持しています。非常に難しい問題ですが、体制が激変して混乱する可能性を思うと、クラレンスの意見の方が現実的なのかもしれませんね。

このまま順風満帆に行くかと思いきや、ハンクの不在中に大事件が。騎士ラーンスロットと王妃の不倫が発覚し、内乱が勃発したのです。

ハンクが、そして当の国民たちが思う以上に、迷信というのは根深いものでした。王が亡くなり「教会」が動くと、人々は次々に投降していきます。そして最後の決戦、ハンクはマーリンの策略にはまり……。

夢破れて

主人公の奮闘むなしく、物語は定説通りのアーサー王破滅エンドに帰着しました。兵どもが夢の跡、といったところでしょうか。

実は、本作を読んでいて主人公にもやもやすることが何度かありました。身を守るためとはいえ人命を奪ったり、一部の処刑に同意したり……。また、人々が自由意志を持つ共和制を目指すはずが、その過程で理想を押し付けている側面や、現代人である自分の判断が絶対に正しいという驕りがなかったか、など。主人公が優秀だからこそ、もっと穏便に事を運べたのではないかとも思います。

おわりに

1000年以上の時を経て多くのことが様変わりした現在。しかし、6世紀、いやもっと前から変わらないものもあるでしょう。

人間は相変わらず争いや過ちを繰り返しています。その一方で、アーサー王のエピソードにも見られるように、苦しんでいる人に寄り添い、助けてあげたいという感情だって普遍的なものです。人間の本質というのは、良いところも悪いところもそうそう変わらないのかもしれません。

主人公の痛快な活躍、一転して苦いラスト、中世を通して現代社会を風刺したエピソードの数々は、いずれも興味深く読めるのではないでしょうか。