今回は、今和次郎(こんわじろう)著・藤森照信編『考現学入門』(ちくま文庫)をご紹介します。本書に収録されているのは主に1920年代(大正~昭和初期)に書かれた文章です。
現代のあれこれについて調べる「考現学」。考古学をもじった造語ですが、その内容は一体どのようなものなのでしょう。
内容紹介と感想
女性のファッションほか、本書の中で個人的に気になった調査や項目をピックアップしています。
都市風俗の観察
東京銀座街風俗記録(1925)
調査者としての新たな収穫
現代の風俗の記録として、十年、百年後の人びとに、この私たちの仕事が残される可能性があることを思うとさらに愉快になる。
人類学の手法を文明人にも適用したい。分析せずにこのまま放っておけば、文明人は自分たちの風俗が絶対的なものであると付け上がるかもしれない。
──遡ること100年前、今和次郎はそんなことを考えました。
そして『婦人公論』(1916年創刊)編集部や吉田謙吉ら友人の協力のもと、1925年5月に調査を実施。その対象となったのが銀ブラをしている人々です。
女性の服装
洋服の着用率は、男性67%に対し、女性はわずか1%。モガ(※)といえば、大正を代表する若者文化のひとつですが、実態はここまで少数派だとは。
この数字には調べた当人もびっくり。目立つものは数が多いと錯覚してしまう傾向があるようです。これはファッションに限った話ではないので、注意しないといけません。
※追記された注によると、「モダンガール」という表現が使われ出したのは翌1926年の夏。また、洋装の中でもショートスカート姿を指したとのこと。
本所深川貧民窟付近風俗採集(1925)
都市の裏面
大通りを少し離れると、そこには全く異なる世界が広がっていました。「運命的な光景」、「すでに魂が破損してしまっている」かのような人、といった言い回しからも惨状が伝わります。
時代や地域を問わず、立ち現れる貧富の差。華々しい文化にばかり目をひかれて、大正浪漫ってすてき!なんて思ったりしますが、実情は厳しいですね。
仮にタイムスリップできたとしても、お金持ちと接点を持つか、自力で成り上がるかしないと、お洒落をして銀ブラなんて無理なのでしょう。
銀座との格差
通行人の多くは職人や肉体労働者です。そのため、上衣なしのシャツ姿や地下足袋などがよく見られました。
この銀座との差を著者は「環境」、もっと言えば「人種」の違いだ、と評しています。
ただ、装いがラフな分、スタイルはバリエーションに富んでいます。
たとえば、女児の髪型。見事にばらばらで実に自由です。〈郊外風俗雑景〉にも同様のスケッチが掲載されていますが、そちらは上品な雰囲気のふんわりした三つ編みなどが中心で、見比べると面白いですよ。
郊外風俗雑景(1925)
住宅の内訳は日本式75%、文化式(大正から昭和にかけて流行った和洋折衷タイプ)20%。服装と同じく過渡期にあるようです。
町に暮らす親子や商人など、日常の一コマを切り取ったスケッチを見ると、にぎわいが目に浮かぶようでワクワクします。
この項目で私が興味を持ったのは、おんぶされる子とおんぶする人の関係性によって、おんぶする人の髪型が異なる可能性について。〈東京銀座街風俗記録〉で女性の内股歩きの多さに気づいたこともそうですが、著者の着眼点には驚かされるばかりです。
ちなみに、銀座の通行人は「機械的な結合」なので、その後行った郊外に比して客観的観察がしやすかったそう。都会の人のスルースキルが高いのは昔からなのでしょうか。
個人所有全品調査
下宿住み学生持物調べ(1925)
今回は東京で下宿する学生たちの持ち物調査を実施。1人は函館出身、もう1人は名古屋生まれ・仙台育ちで、いずれも理系です。
この頃の学生の外套といえば、やはりマント。バンカラが流行った時代ですものね。
骨董趣味を感じさせる1人目の学生さんの所持品の中には尺八が。当時としても珍しい趣味なのか違うのかの判断に迷います。
2人目の学生さんは四畳半生活。乱雑さの中にも本人の人となりがうかがえる小宇宙を見ると、装飾価値≠もの自体の美的価値であるとして、モリスの装飾論「必要なるものの他、室内におかざること」に異議を唱えたいという著者の気持ちがよくわかります。
新家庭の品物調査(1926)
所持品に反映される個性
古物のデパートを設立して各家庭の品物を新陳代謝していったら…という著者の想像は、現在のリサイクルショップやフリマアプリにつながるイメージで先見の明がありますね。
所持品は、ネガティブな面も含めて個性が現れるポートレート。共通性や差異はどこにあるのかを知り、その上で様々なことを検討する第一歩が、今回のような調査です。
貸家に暮らす夫妻
協力してくれたのは、東京の山の手郊外に住む新婚夫婦。
10坪未満のこぢんまりとした家ではありますが、玄関のミニ書斎、ピアノの上の美術品コーナーなど、うまい具合にスペースを有効活用しているようです。
妻の母から譲り受けたという、タンスの中にある守り刀は、昔ながらの嫁入り道具でしょうか。今ではあまりピンとこない持ち物です。
また、押し入れには夫の母お手製の人形も。脈々と受け継がれるおかんアートの息吹を感じるような……?
井の頭公園春のピクニック(1926)/自殺場所分布図(1927)
前者には「ほう」となり、後者には「ひっ」となりました。
著者自身、自分の書くものは下品だと読者から叱られることがある、と〈郊外住居工芸〉冒頭で記しているんですけれども、自殺場所分布図はさすがに悪趣味な気が。
結果については、梶井基次郎作品のように「桜の樹の下には屍体が埋まっている」どころの騒ぎではありません。2つのデータを合わせると、“人が首を吊った木の下で家族連れや恋人たちがお花見を楽しんでいる”という衝撃的な事実が浮き彫りになるのです。
しかし、そもそも生と死というものは隣り合わせで、これが本当なのかもしれないなあ、とも思います。普段はそれを忘れているだけなのでしょう。
物品交換所調べ(1948)
「たけのこ生活」と呼ばれる物々交換をしていた戦後の記録。
たけのこ生活というのは、たけのこの皮を1枚1枚はぐように、身の回りの衣類や家財を少しずつ売って食いつないでいく暮らし方のことだそうです。
前述の古物のデパートが、必要に迫られて実現した形になるのでしょうか。
調査時期に交換価値が高かったのは小麦粉(米は取り扱い不可)。手放すものと欲しいものの間には、人々の複雑な思いや背景が見え隠れします。
身を切る思いで手放したであろう宝物の存在を考えると悲しいですが、それもまた人生……。
考現学について
考現学とは何か(1927)
私たち同志の現代風俗あるいは現代世相研究にたいしてとりつつある態度および方法、そしてその仕事全体を、私たちは「考現学」と称している。
転機が訪れたのは1923年の関東大震災のとき。著者は焼け野原に立ち、見つめるべき事柄の多さを感じ、記録を取り始めたのです。
著者は自身を「観察者」であると述べています。復興していく東京へ向けるその眼差しは、いかようなものであったでしょう。
その後、〈東京銀座街風俗記録〉を発表。一連の調査を通し、各々の風俗の意義は分析・比較されることで明瞭になる、という意識を持つに至ります。
目立つ一部の個人ではなく社会全般の風俗を対象とする、という点も重要です。上のモガがいい例ですが、印象で判断するのではなく、冷静に集計する姿勢が求められます。
「考現学」が破門のもと(1969)
茶碗の欠け具合、露店商人による人寄せなど、本書はへんてこな調べ物でいっぱいです。〈住居内の交通図〉(どの敷居を1日何回またぐかの調査)あたりであれば、お子さんの自由研究でも真似できるかもしれません。
本人も自覚しているとおり、著者はコレクター気質であり、加えて誰もしたことのないことをしたくなる「ヘソ曲り」なのだそう。
そんな著者を民俗学者・柳田国男が破門した──なんてことは実際にはなく、恩がある柳田と方向性が違ってしまったことを冗談めかして言っただけみたいですね。
「民俗学は過去を探り、考現学は未来を考える立場だ」という一言に著者のスタンスがよく現れています。
おわりに
『考現学入門』というタイトルだけ見ると、ちょっと難しそうに感じますよね。
しかし、そんなに身構える必要はありません。全体的に堅苦しさもなく、ユーモアを交えた読みやすい文章と味わい深い手書きイラストで構成され、エッセイとして読んでも面白い内容です。
そして、直に顔を合わせたわけでもないのに、懸命に「現代」を生きた人々に愛おしさを覚えました。
考現学を知ると、我々が生きる現代を考えるヒントも得られるのではないでしょうか。


