アイザック・アシモフ『われはロボット』

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アシモフの短編集『われはロボット』は、古典的名作SFのひとつです。本書には、後進のSF作品のみならず、現実のロボット工学の分野にも強い影響を与えた「ロボット工学三原則(The Three Laws of Robotics)」が登場します。

現代科学に通じるものが感じられ、約70年前の作品とは思えない面白さです。また、1話1話の完成度が高く、手に汗握る展開に惹きつけられます。

あらすじ

 ロボット工学の三原則

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

半世紀の長きにわたり、USロボット社において多大なる貢献を果たしてきたスーザン・キャルヴィン博士。彼女の引退は、ひとつの時代の終わりと言えよう。

この度の特集記事を組むにあたり、わたしは博士にインタビューを試みた。ロボット心理学の立役者から聞く話は、ロボットがいるのが当たり前の世界に生きるわれわれ若い世代にとっては驚くべきものばかりで……。

内容紹介と感想

「ロビイ」 子守りロボットと少女の絆

1998年。郊外に住むウェストン家の一人娘グローリアと、子守り用ロボットのロビイは大親友。ロビイにしゃべる機能はありませんが、グローリアにとってはすてきな遊び相手です。しかし、ミセス・ウェストンは、娘が人間の友達をつくろうとしないことや、村人がロボットに対して持つ偏見のことが気がかりで……。

ロビイが健気で仕方ありません。自分の意見を口にすることができなくても、彼がどれほどグローリアのことを大切に思っていたかは行動から伝わってきます。この作品には多様なロボットが登場しますが、ドラえもんに慣れ親しんで育った身としては、やはりロビイのような友達タイプにあこがれますね。

シンデレラのお話を聞くのが大好きで、人間味のあるロビイ。製作された時点ではほかの数多のロボットと同じだったのでしょうが、グローリアと過ごした時間と思い出はロビイだけのもの。ロックなどの提示したタブラ・ラサの概念(白紙説)のように、経験が心の成長、個の確立に影響するのは、人間もロボットも同じなのかもしれません。

「堂々めぐり」 水星での綱渡り

2015年。実地テスト担当者のグレゴリイ・パウエルとマイク・ドノヴァンは、鉱山開発のために水星へ派遣されました。ところが到着早々設備に問題があると判明し、処置が必要に。そこでロボットにセレンを採りに行かせたのですが、この「スピーディ」が数時間経っても戻る様子を見せず……。

ここから、ロボット工学三原則をうまく利用した物語が展開されていきます。ロボットは常に三原則を守っているのですが、イレギュラーな状況においては、時に不可解な行動をとり、それが謎を呼ぶのです。現実の法律にも当てはまりますが、原則の文言がシンプルであるがゆえに解釈に委ねられる部分が大きいんですね。

今回のスピーディの場合は、ジレンマに陥った結果、優先順位をつけられずキャパシティーオーバーとなっていました。結局、閉塞状況を打破するため、パウエルとドノヴァンは体を張る羽目になります。それにしても、こういう時でもジョークを飛ばせる二人のメンタルの強さがうらやましい。

「われ思う、ゆえに……」 懐疑論者のロボット

中継ステーションの管理人としてつくられた高性能ロボット「キューティ」。彼が思索の末に出した結論は「自分はパーフェクトな存在であり、それに劣る人間が自分をつくれるはずがない」というものでした。

キューティは、ある意味ものすごく個性的なロボットです。後述の「逃避」で、キャルヴィンはUSロボット社製のロボットが持つ個性を幼児の個性、あるいはイディオ・サヴァンにたとえています。人間の子どもなら徐々に自我が芽生えていくところですが、ロボットの場合は最初から知能レベルが高いのがかえってやっかいですね。

キューティの言動はエスカレートし、ついには創造主(人間にあらず)に仕える預言者として振る舞い始めました。さらに、危機が迫っているというのに、パウエルとドノヴァンはコントロール・ルームから追い出されてしまいます。

反抗的ともとれるキューティの態度は、三原則にそぐわないように思われますが……? 後任の苦労がしのばれます。

「野うさぎを追って」 自律性を巡る難題

DV5号「デイブ」と、その手足となって行動する6台のサブロボット・通称〈指〉は、惑星鉱山用ロボなのですが、肝心の鉱石を持ってきません。怪訝に思ったパウエルとドノヴァンが隠れて監視していると、ロボットたちは隊列を組み、奇妙な動きを見せ……。

人間とサブロボットの間に挟まれたデイブは、中間管理職よろしく大変そうですね。ボスとして〈指〉を管轄する自律型ロボットとしての性格が、今回の問題を引き起こしたようです。そして、毎度のことながら生命の危機に瀕するパウエルとドノヴァン。トラブルシューターってつらいなあ。

「うそつき」 心が読めるロボット

2021年。人の心を読むロボット・RB34号「ハービイ」が誕生しました。なぜそのようなものができたのかわからず、研究所では原因究明を目指します。キャルヴィンは、ロボット心理学の見地から、その読心力の性質について調べることに。人からロボット呼ばわりされることもある冷徹な彼女が、思い出して顔を赤らめるほどの失敗談とはいったい……?

ハービイは、科学の本よりも小説に関心を寄せており、人間の「心」というものをよりよく知りたいと思っているようです。私は、「博士にもこんな一面があったんだなあ」と、最初のうちは微笑ましささえ感じながら、キャルヴィンとハービイの会話を読み進めていました。ところが、ハービイの発言に人間側が翻弄される様がだんだん怖くなってきます。

このエピソードは、人間たちはもちろんかわいそうですが、ハービイはハービイで三原則に従っているだけなのですから、やはりかわいそうでした。何と言いますか、心が読めるなんてろくなものじゃないですね。円滑な人間関係には、適度な正直さと適度なうそのバランスが大切なのでしょう。

「迷子のロボット」 人とロボの騙し合い応酬

2029年。キャルヴィンは突如ハイパー基地に召集されます。実は、修正第一条が組み込まれたロボットの開発が水面下で進められており、迷子の改造NS2型「ネスター」10号を内密に見つけ出してほしいというのです。10号は、新たに貨物船で運ばれてきた同型のロボット62台の中にまぎれているようなのですが……。 

63台のロボット全員が基地で元々働いていたことを否定しました。つまり、1台はうそをついているということ。最後に10号と接触したスタッフがイライラして「消えてなくなれ」と言ったことが、今回のトラブルの原因であると考えられます。

実験で裏をかいたつもりが、10号に出し抜かれてしまうキャルヴィン。増長した10号は、人間に対して優越感を抱いていました。博士は繰り返しロボットたちの面談をしますが、異口同音の返答に疲労を隠せません。ひょっとすると、マニュアル人間タイプの就活生を立て続けに相手にした時の面接担当者はこんな気分なのかも。 
しかしながら、最終的にキャルヴィンは10号の優越感を逆手にとる方法を思いつきます。

このエピソードでは、「フランケンシュタイン・コンプレックス」の考え方が出てきます(この用語自体、アシモフの小説発祥らしいです。すごい!)。これは、科学者フランケンシュタインが自分の生み出した怪物に対して危機意識を持つという、シェリー作『フランケンシュタイン』のストーリーに由来するものです。

将棋の世界で人間の棋士とAIが対戦するとき、私はできれば前者に勝ってほしいと思います。これも、ロボットは人間より劣っていてほしい、人間の立ち位置を脅かさないでほしいというフランケンシュタイン・コンプレックス的心理なのでしょうか。うーん、悩ましい。

「逃避」 笑ってごまかせ星間ジャンプ

ライバル企業の合同ロボット社が協力を要請してきました。恒星間飛行(スペース・ワープ)の課題に取り組んでいる最中、同社の思考マシンが壊れてしまったのです。代わって、USロボット社の思考マシン「ブレーン」が宇宙船を完成させます。

ブレーンの造った宇宙船内をチェックしていたところ、パウエルとドノヴァンは宇宙に放り出されてしまいました。恐ろしいことに、船内には人間が機体をコントロールするための装置が見当たりません。第一条により、ロボットが人間を危険にさらすはずはないのに……。

ロボットも逃避行動をとるんですね。ピンチの時に切れ味の良いユーモアを見せる二人と同じく、ブレーンも笑いに逃げます。

キャルヴィンの指示ミスにより、三原則に抜け穴ができたとも言えるでしょう。貧乏くじばかり引かされているパウエルとドノヴァンですが、今回は生きた心地がしないどころの話ではありませんでした。

「証拠」 市長候補はロボット?

2032年。市長候補の一人、地方検事スティーヴン・バイアリイに対してある疑惑が持ち上がります。食事をしているところも眠っているところも、誰も見たことがない──彼はロボットなのではないか、と。

素直に検査を受ければ簡単に疑惑が晴れるにもかかわらず、バイアリイの態度には不審な点が見られます。このままでは、ロボットに反感を抱く根本主義者たちの動きが過激化するおそれもあるというのに、彼の真意はどこにあるのか。物語の着地点がわからず、ハラハラしながら読みました。

三原則を順守するロボットと高潔な人間は、見た目では区別がつかないのです。品行方正・公平無私なロボットと、粗暴で身勝手な人間だったら、どちらの方がより人間らしいんでしょう? 他者への思いやりに満ちた人は当然人間的ですし、一方で無駄に暴力をふるうというのも、それはそれでほかの動物と一線を画しているという点では人間らしいと言えるのかもしれませんし……。本書を読んでいると、ロボットだけでなく、人間のあるべき姿や人間性についても考えてしまいます。

「災厄のとき」 世界経済とアンチ・マシン同盟

2052年。今や世界統監となったバイアリイは、世界経済の動きに頭を悩ませていました。鉄鋼や水耕農場などの分野で不調が見られるのです。4基のマシンに尋ねても「本件は解明を許さない」との回答。マシンが計算を間違うはずがなく、かといって誤ったデータが与えられたわけでもないのですが……。

現実でもそうですが、機械の開発が進むと技術的失業が懸念されるようになります。作中では、マシンに奉仕する立場を嫌うアンチ・マシン〈人間同盟〉が存在しており、バイアリイはその活動を見過ごすことはできないと考えていました。ところが、キャルヴィンはあえて対策をとるべきではないというのです。

ここに至って三原則の「人間」の定義が問題となってきます。マシンにとって「人間」とは、もはや一個人ではなく人類全体なのです。これが意味することはつまり……?
どんなに遠くまで行ってもお釈迦様の手の上から逃れられない孫悟空になったような、そうでもないような、変な気持ちがします。

おわりに

かわいい、かわいそう、もやもやする。本書に登場するロボットたちに対して、そんな感情を抱いた時点で、ロボットを単なるモノとして見ていない自分がいることに気がつきます。

私たちはAI等とどのように付き合っていけばよいのか? シンギュラリティ(技術特異点)が注目を集めているなか、本書は古びないどころか、今こそ読むべき作品なのかもしれません。