今回は、レオニー・スヴァン著・小津薫訳『ひつじ探偵団』(原題:Glennkill、英題:The Three Bags Full)をご紹介します。アガサ・クリスティ作品に登場する名探偵、ミス・マープルを思わせる「ミス・メイプル」を筆頭に羊が活躍する異色作です。
約20年前の作品ですが、本作を原作とする実写映画『ひつじ探偵団』(原題:The Sheep Detectives)が公開されることもあって、現在注目を集めています。
あらすじ
舞台はアイルランドにある村グレンキル、羊飼いのジョージが所有する牧草地。夏のある朝、羊たちは鋤(すき)が突き刺さった状態で息絶えているジョージを発見する。
取り急ぎ集会を開く羊たち。彼は特別「よい羊飼い」ではなかった、理想はこうだ、とひとしきり話し合い、満足して解散……しかけたものの、1頭の羊が待ったをかけた。
仲間内で世界一賢い羊とも噂されるミス・メイプルである。ジョージがなぜ死んだのか、調べるべきだと彼女は言う。
犯人はきっと人間に違いない──これで一挙に容疑者は絞られた。必ずや真相を解明し、「正義」を執行しようと羊たちは決めたのだった。
メインキャラクター
主な登場羊
- ミス・メイプル:グレンキル一賢い牝羊(めひつじ)。思慮深いだけでなく、人間の家や店まで調査に赴く大胆さも備えている。
- 鯨のモップル:丸々太っていて、いつも腹ペコの牡羊(おひつじ)。記憶力抜群で一度聞いたことは忘れない。
- オテロ:4本角の黒い牡羊。謎めいた過去の持ち主で、外の世界について知っている数少ない存在。
- ゾラ:頭部が黒く角がある牝羊。ヤギのように断崖を動き回るのが得意。「深淵」に思いを巡らせることがある。
- サー・リッチフィールド:群れのリーダー。年のせいで物忘れが激しく耳も遠いが、目はいい。
- メルモス:リッチフィールドの双子の兄弟。彼が失踪した一件は、群れを離れてはいけないという教訓とともに伝わっている。
主な登場人物
- ジョージ・グレン:人間嫌いとして知られる年配の羊飼い。羊の群れを連れてヨーロッパ旅行をするのが夢だった。
- ケイト:ジョージの妻。美人だが結婚後に太った。夫から牧草地に入るのを禁じられていた。
- アブラハム・レックハム:通称ハム。肉屋。店に監視カメラを設置している。ケイトに好意を寄せる。
- ガブリエル:羊そっくりのにおいがする羊飼い。彼が連れている羊は毛がほとんどなく、不気味な印象を与える。
- ウイリアム神父:ジョージやハムを嫌う。羊たちは彼の名前が「ゴット」だと勘違いしている。
- ベス:定期的にジョージを訪問し、善行を行うよう説いていた。村を不在にしていた時期がある。
- リリー:時々羊飼い車を訪ねてきていた。経済的余裕はなさそうだ。
- トム・オマリー:パブの常連客で酒飲み。羊たちに続いて死体を発見する。
- ジョシュ・バクスター:パブ〈マッド・ボア〉の主人。現場の様子を見に来た一人。
- レベッカ:ジョージの娘。グレンキル育ちではなく、村人たちは彼女の存在を知らなかった。
内容紹介と感想
早川書房の単行本の表紙は児童書でもおかしくないような可愛らしさですが、いざ本文を読み始めるとギャップに驚きます。
個性的な羊たちの会話や思考は意外に哲学的。そして、グレンキルの村全体がどうにもきな臭いのです。
読書の楽しみ
牧草地では朗読の時間がありました。ジョージが読み聞かせてくれたのはメルヘン、恋愛小説(赤毛の「パメラ」がヒロイン)、推理小説(途中で投げてしまう)、羊の病気の本(羊たちには悪趣味だと不評)などです。
朗読を通してメイプルたちは普通の羊が知らないような言葉や知識を身につけており、それが捜査でも活かされることになります。人間は視覚にばかり頼っていますが、鼻がいいのも強みです。
とはいっても、牧草地以外の世の中はわからないことだらけ。価値観だって人間とはまるで違います。
それゆえ、人間に対して的外れな感想を抱くこともしばしば。そこが本書の面白さのひとつであると同時に、事件を難解にしている原因ともなっています。
羊目線で読んでいると、肉屋のハム→嫌な奴、羊飼いのガブリエル→好き、といった彼らの評価に引っ張られることに。しかし人間というのは多面的なもので、話が進むにつれイメージが大きく変わるキャラクターも出てきます。
容疑者は?
物語前半の情報を整理してみましょう。
- ジョージの死に顔は穏やかだった。また鋤は死後に刺されたものである。
- 牧羊犬テスの姿が見えない。
- ジョージの体に羊のひづめの跡がついていた。
- ジョージが亡くなった晩、子羊が大きくて毛むくじゃらの何かを目撃した。
- 村人は観光業のためにスキャンダルを避けたがっている。
- ジョージには秘密の収入源があった可能性があり、遺言書と羊飼い車の中身に強い関心を寄せている村人が複数いる。
- 7年前のマッカーシー事件でも鋤が使われた。
村人はさておき、仲間の羊まで疑わしく見えてくるのが不穏ですね。
長老リッチフィールドの言動は少しおかしいし……オテロは猟犬を倒せるほど強いから、もしかして……とそわそわ。
私のお気に入りキャラクターであるモップルについては、記録係としての安心感がある一方、食い意地が張っているせいで変なものを口にしたり、肉屋に襲われたりと、別の意味でハラハラ。
忘却と正義
冒頭で意気揚々と「正義」を掲げてはみたものの、事態のややこしさを知り、メイプル以外の羊は途中で捜査をやめたがります。
忘却は羊の悩みに対する定評のある解決策だ、という主張は、悩みの内容次第では人間にとっても有効でしょうね。
この後、冬子羊に正義とは何かと問われた際のオテロの回答も印象的。それは、好きなときにどこにでも駆けていけること、好きな場所で草を食むこと、自分の道を誰にも奪われないこと。動物園やサーカスで過酷な経験をした彼ならではの意見です。
迷える子羊
あまり羊などと比較して考えてみたことがなかったのですが、人間も群れを作る動物であるという話は、言われてみればその通りですね。
一番身近な例が人間関係の希薄なジョージであったため、今まで羊たちはそのことに気づいていませんでした。
そう、ジョージは「群れを離れた」のです。7年前のある出来事をきかっけに、周囲が羊の皮をかぶったオオカミであることに気づいたのだろうとメイプルは指摘します。
ガブリエルの羊のうち年上の1頭は、自分たちの置かれている立場、「食肉種」の意味を知っていました。ジョージもそうですが、何かを知っていることが必ずしも幸福とは限らないのです。それは孤独を強いられることでした。
犯人はおまえだ!
遺言書の公開シーンは(羊たち基準で)痛快で、私の中では一番の山場でした。けれども、まだ物語は終わりません。
とうとう犯人のあたりをつけたミス・メイプル。彼女が犯人役、ゾラが羊飼い役となり、〈グレンキル一賢い羊コンテスト〉で事件の再現を試みることにしました。それを見た人間たちの反応は……?
メイプルたちはベスが犯人のつもりでしたが、真相は自殺。ジョージに苦しんだ様子がなかったことなどから、それ自体はさほど意外ではありませんでした。しかし「自分で自分を殺す」なんて発想、人間以外の動物には到底できないというところが肝かもしれません。
むしろショックだったのは、ジョージがマリファナの運び屋であるだけでなく、その運搬に羊を利用していたこと。彼が羊たちを大事にしていたのも間違いないのでしょうが、複雑な気分になりました。
ある人物の告白に困惑するメイプルたち。事件の背景には、羊が理解に苦しむ動機があったのです。
しかし、コンテストで出会ったフォスコの反応は違いました。何度も優勝し、場数を踏んでいるフォスコは、人間の心の闇について教えてくれました。それは内なるオオカミ、「深淵」のようなものだ、と。
羊なのに「独りでいるのも、ときには好都合だ」が口癖のメルモス同様、賢さにもいろいろな種類があるのだなと思わせてくれるキャラクターです。
おわりに
結局のところ、ジョージの本心は羊たちにも娘のレベッカにも十分に理解できないまま。
仲直りできたかもしれないのに、と話すレベッカには切なくなりましたが、「『子羊たちの沈黙』を朗読してあげる」というブラックジョークには笑いました。羊の病気の本を朗読していたジョージとなんだかんだで似た感性を持っているのかも。
そして、ジョージは「よい羊飼い」だった、と最終的に羊たちが認めたことで報われたところはあるのではないでしょうか。
最後にもうひとつ。本の注意書きにあるようにグレンキルの羊たちは特別なので、よい子羊はマネしないでね。
