小栗虫太郎『黒死館殺人事件』ほか

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今回ご紹介するのは、日本ミステリー界の〈三大奇書〉※と呼ばれる三作品です。通常の推理小説の型から外れた作風ゆえ、いわゆるアンチミステリーに分類されています。

※竹本健治著『匣の中の失楽』を加えて〈四大奇書〉とする場合もあります。

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』

江戸川乱歩をして「この一作によって世界の探偵小説を打ち切ろうとしたのではないかと思われるほどの凄愴なる気魄がこもっている」と言わしめた作品。

舞台は過去三度の怪死事件が発生している黒死館。当主・降矢木算哲(ふりやぎさんてつ)の遺言状が公開されないまま、新たな惨劇の幕が上がります。

事件の謎を追うのが本筋のはずですが、作品の大部分を占めているのは探偵役・法水麟太郎によるうんちくショー(検事や捜査局長が法水の話に普通についていけるのは、ある意味本書最大の謎です)。それゆえ、本作の特色を述べる際によく用いられるのが「衒学趣味(ペダンチズム、ペダントリー)」という言葉です。

同じくうんちく満載の京極夏彦「百鬼夜行シリーズ」のような大長編ではありませんが、あちらに比べると西洋学問の話題が中心であるため、はるかに読みにくいです。漢字にカタカナのルビがふってある専門用語だらけなのがまたつらい。

むしろそこが面白いと感じた方は、少々値は張りますが、注釈が豊富な作品社の「新青年」版を読むと、造詣を深められてよいでしょう。

黒死病(ペスト)にちなんだ異名を持つ洋館、門外不出の外国人楽団、故人をモデルとする自動人形、『ファウスト』に登場する呪文……。作品を彩る謎の数々は、万人受けはしないものの、好きな人にはたまらないものです。

ただ、正直言って「なんじゃそりゃあ」と思ってしまう部分もありました。これは特にオカルト要素の扱いについてですね。オカルト要素というのは、一般的なミステリー(例えば島田荘司『占星術殺人事件』など)であれば捜査の攪乱を主目的とすることが多いのですが、本作の場合は事情が大幅に異なります。

以上のように主客転倒を特徴とする本作において、トリックや犯人の正体はもはや重要ではないかもしれませんが、一応真相にも触れておきましょう。

  • 算哲が外国人四名を養子にしたのは、″ある特質を持つ犯罪者の子は親同様に犯罪者になる″という仮説を立証するため。
  • 事件を誘発するべく、あえて遺産問題を複雑にした。
  • 自分こそが算哲の本当の娘であると知った秘書が暴れていた。

豪華な装飾をそぎ落とすと、わりとシンプルな話のような気もしますね。法水が犯人をファウスト(悪魔と契約したという伝説上の人物)、算哲をメフィスト(悪魔)にたとえていたのも納得です。

なお本作は、ゲーテ著『ファウスト』のほか、ヴァン・ダイン著『グリーン家殺人事件』の影響を強く受けているそうなので、興味がわいた方はそちらも読んでみてくださいね。

夢野久作『ドグラ・マグラ』

胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか

病室らしき場所で目覚めた記憶喪失の「私」。そこへ若林と名乗る男が現れ、ここは九州帝国大学精神病科であると「私」に告げる。若林博士によると、「私」は故正木博士が行っていた研究の被験者であるらしい。また、二つの事件の重要参考人と目される「呉一郎」と深く関わっているらしい。さらに、奇怪な言葉を並び立てる隣室の女性は、一郎のいとこ兼婚約者モヨ子であるらしい。さまざまな情報を踏まえた結果、「私」は自身が問題の呉一郎ではないかと苦悩するのだが……。

どの描写を確定事項として扱ってよいものかわからず、″らしい″だらけのあらすじ紹介になってしまいました。「読むと精神に異常をきたす」というキャッチコピーがつけられた作品だと聞いて、びくびくしながら読んだものです。

『黒死館』は膨大な情報量に困惑させられますが、『ドグラ・マグラ』は加えて解釈の点でも悩まされます。何と言っても主人公の記憶が曖昧で頼りないですからね。
「……ブウウ――ンンン……ンンンン……」「チャカポコチャカポコ」といった特徴的なオノマトペや、複数の作中作の存在が混沌とした雰囲気にまた拍車をかけるのです。

作中作には本書と同名の『ドグラ・マグラ』も含まれており、その意味については「幻魔術のことをいった長崎地方の方言」、しいて訳すなら「堂廻目眩(どうめぐりめぐらみ)」「戸惑面喰(とまどいめんくらい)」等の言葉を当ててもよい、と一応の説明が見られます。

……つまりこの原稿の内容が、徹頭徹尾、そういったような意味の極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられておりますために、斯様な名前を附けたものであろうと考えられます

この解説はそのまま本書にも当てはまるかと思います。
「脳髄の地獄」ですものね。読んでいると頭がくらくらしてきます。物語すべてが胎児の見た夢ではないかという説もありますが、はてさて……。

中井英夫『虚無への供物』

タイトルの「虚無への供物」は、作中では新種の薔薇の名前として登場します。
主な舞台は、不幸な事故で親を亡くした蒼司・紅司・藍司らが暮らす氷沼家。いまだ悲しみが癒えぬ中、紅司が不審死を遂げ……。

実は序盤で読むのをやめようか悩んだ作品。現実のLGBTQの方を差別する意図はありませんが、小説等で見るなら自身が興味を持っている男女の恋愛がよいのであって……。まあ、何だかんだ最後まで読んだわけですが。

それはさておき、本題について。
上記二作品の発表がともに1935年であるのに対し、こちらは30年ほど後の作品ですから、文章そのものは現代的で読みやすいです。が、〈三大奇書〉に数えられるだけあってストーリー面は一筋縄ではいきません。普通のミステリーのつもりで展開予想を立てると、肩透かしを食うことになります。これは重要な伏線に違いない!と身構えていたら、どれもこれも大はずれ。

終盤、推理小説を否定するような発言も出てくるため、ミステリー好きとしては少々へこみました。メタ的に見た場合、「読者が犯人」なのだそうで。
言い訳をすると、陰鬱な事件描写を好んでいるわけではなく、真相解明でびっくり・すっきりする感覚が好きで推理小説を読んでいるのですが……。うーん、それでもやっぱり悪趣味なのかな?

ちなみに、四番目の奇書と評されることもある『匣の中の失楽』は、三作品の中では『虚無への供物』の雰囲気に近い印象を抱きました。

おわりに

〈三大奇書〉、いかがでしたでしょう。概要を見るだけでも、相当に人を選ぶ作風であるとお感じになったのではないでしょうか。裏を返せば、はまる人はとことんはまる作風だとも言えますので、一度チャレンジしてみるだけの価値はあるのではないかと思います。