連城三紀彦『戻り川心中』

ミステリー・サスペンス
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『戻り川心中』は、花をモチーフとする短篇ミステリー〈花葬〉シリーズの一作品。
『このミステリーがすごい! 2015年版』「オールタイム・ベスト国内短編ミステリー」において堂々の第1位を獲得するなど、高い評価を得ています。

あらすじ

大正期の天才歌人・苑田岳葉(そのだがくよう)。34歳で自ら命を絶った彼の代表作「情歌」と「蘇生」は、その題材となった二度の心中未遂事件、通称「桂川心中」と「菖蒲心中」とともに世に知られている。

苑田の死後、私は彼の人生を小説化した『残燈』を執筆していた。しかし、心中相手の遺族の抗議によりやむを得ず連載を中断した──というのは表向きの理由に過ぎない。

菖蒲の花はなぜ三度咲いたのか? その真相に思い至ったとき、私は事実を闇に葬ることに決めたのだ……。

主な登場人物

苑田岳葉
嵐山と千代ヶ浦で二度の情死事件を起こす。「菖蒲心中」の3日後、自害する。

ミネ
苑田の妻。夫の歌を理解しようとせず、喧嘩が絶えなかったという。

桂木文緒
1人目の心中相手である深窓の令嬢。苑田にとって生涯の女性であったとの見方が強い。

依田朱子
2人目の心中相手である女給。文緒の身代わりであったのではないかと考えられている。

村上秋峯、琴江
苑田の師とその若妻。苑田が門下から離れたのと同時期に離婚しているが……?

内容紹介と感想(ネタバレなし)

芸術家は、作品だけでなく自分自身をも投げ出す。芸術家の秘密を探る楽しみは、探偵小説を読む楽しみと似ている。

(サマセット・モーム著、金原瑞人訳『月と六ペンス』新潮文庫より)

本作は、ある天才芸術家を主人公としている点、その生き様(あるいは死に様)を知人の作家が作品化している点などが、以前紹介した『月と六ペンス』と共通しています。ただ、本作の場合は最終章が発表されずじまいであった、という部分が大きく異なるところです。

私は本作を読む前、タイトルから『曽根崎心中』等をイメージして、勝手に時代物ミステリーかと思っていました。

しかし、実際の舞台は大正時代。苑田の死後、彼の友人でもあった作家の「私」が取材を重ねるうちに衝撃の事実にたどり着く、という筋書きです。

作中に短歌がいくつも出てくるという、かなりの技量が求められる構成ですが、うまくストーリーに落とし込んでいます。しっとりとした叙情的な作風は、ミステリーとしてはやや珍しく感じました。

『このミス』をきっかけに遅まきながら本作を読んだ私。実を言えば、最初のうちは「これは発表された当時は斬新であったけれど、今読むとそうでもないというパターンだろうか?」などと失礼なことを考えていました。

ところが、なかなかどうして。いい意味で予想は裏切られ、二転三転するストーリーにハラハラし、最後の真相にびっくり仰天させられることになるのです。

内容紹介と感想(ネタバレあり)

これ以降の記述には、作品の核心に触れる重大なネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

天才の真意

その岳葉がくようは、近代の産んだ天才歌人のひとりである。

最後まで読んだうえで改めてこの冒頭の一文を見ると、ずいぶんと印象が変わってきます。「私」自身も考えている通り、本当にそうとしか言いようがないのです。苑田は、「人間」としてでも「男」としてでもなく、ただひたすらに「歌人」であり続けたのだ、と。

私がぼんやりと考えていた真相は「最初の事件の後にあまりにすばらしい歌が詠めたので、夢よもう一度とばかりに二度目の事件を故意に起こした」というものでした。

しかし、そもそも最初の事件から仕込みであった、それどころか事件発生前に歌がすでに完成していたという、とんでもない真相が提示されたのですから、目が飛び出るほどに驚きました。

歌人の葛藤

苑田は複数回にわたる心中(未遂)事件を起こしている。この設定から私が初めに連想した実在の芸術家は、小説家・太宰治でした。しかし最後まで読むと、苑田は画家のサルバドール・ダリのようでもあるな、と思いました。つまり、自己演出に努めていたという点で、です。

苑田の悩みの種は、生みの苦しみとは違うところにありました。元来「情熱の冷えた男」である彼には、歌に華を添えるだけのドラマがなかった。苑田は「才の勝ちすぎた歌人」という評価を覆すべく、あえて自分の人生に暗い影を落とすような言動をとることにしたのです。

同じ人物が同じ作品を発表するのにエピソードの有無で評価が変わる、というのも何とも不思議な話ですが、消費者(あえて消費者と言います)というのはその手のエピソードを欲しがるものなのでしょう。

文緒とのわずかな交流から情死の歌を創り上げるほどの想像力の持ち主であった苑田は、歌人ではなく小説家であったなら、もう少し悩まずに済んだかもしれませんね。

妻ミネとの喧嘩も、放蕩生活も全部演出。大本命かと思われた琴江との関係も、情死事件も、そして自害さえも……。

最高の歌を詠み、悲劇の歌人として散っていく。複雑な胸中であったろう女性たちや振り回された関係者のことを考えると、最低な人間としか言えませんが、その一方で歌人としては「あっぱれ」と思ってしまいます。

おわりに

短いながらも濃密なドラマが展開される『戻り川心中』。現地へ赴き、取材旅行をしながら過去の事件の真実に近づいていく、という形式も秀逸で面白かったです。

1983年には『もどり川』のタイトルで映画化もされているので、どうアレンジされているか、見比べてみるのもよいと思います。