『月と六ペンス』(原題:The Moon and Sixpence)は、画家のポール・ゴーギャン(ゴーガン)の伝記から着想を得て書かれたという小説です。
なお、本記事では新潮文庫の金原瑞人訳を参考にしています。
あらすじ
無口で退屈な中年男──夫人の紹介で顔を合わせたストリックランドの第一印象は、実に平凡なものであった。株式仲買人として真面目に働き、感じのよい夫人と健やかに育つ子どもたちに囲まれて幸福な家庭を築いている、そう思っていた。
ところがある日、驚くべきニュースが飛び込んできた。ストリックランドが突然妻子を捨てたというのだ。夫人の依頼を受けたわたしは、彼のあとを追ってロンドンからパリへ飛ぶが……。
主な登場人物
「わたし」
新人作家時代にストリックランドと出会う。その後も断続的に彼と接点を持つことになり、タヒチ滞在を機に回顧録を書く決意をする。
チャールズ・ストリックランド
40歳で全身全霊を傾けて絵に取り組むようになるが、その心中は計り知れない。
エイミー
ストリックランド夫人。読書好きで、若手作家との交流を楽しみとしている。
ディルク・ストルーヴェ
オランダ出身の画家。極度のお人好しで、周囲からはピエロ扱いされている。
ブランチ
ストルーヴェ夫人。異様なほどストリックランドに拒否反応を示していたが……。
アタ
タヒチ人。17歳の時にストリックランドの内縁の妻となり、2人の子どもを産む。
内容紹介と感想
イントロダクション
チャールズ・ストリックランドの価値は本物だ。たとえその絵を好きにはなれなくとも、無視することはできない。ストリックランドは人の心をひきつけ、かき乱す。
導入部分では、画家としてのストリックランドの現在の評価、死後に世に知られるようになった経緯などが語られます。
高名な批評家によってスポットライトが当てられた途端、こぞって他の人間も取り上げ出す。存命時は問題視されたエピソードの数々が今や神話化され、その画家の魅力のひとつとなっている。いかにもありそうなことばかりで、現実の芸術家の話を聞いているかのようです。
以下、「わたし」が住んでいる場所に合わせて、大まかにロンドン編・パリ編・タヒチ編に分けて見ていきたいと思います。
ロンドン編
何不自由ない生活を送っているかのように見えたストリックランドが、短い手紙だけを残して急に行方をくらまします。
家族と仕事を捨てる
若い女性と駆け落ちしたのではないか。そんな噂を聞いていた「わたし」ですが、パリで見つけたストリックランドは意外にも一人で貧乏暮らしをしていました。
もはや妻を愛してはいない、と彼は「わたし」に告げます。さらに子ども(17歳の息子と14歳の娘)のことも、小さい頃はさておき今となっては別に可愛くない、と言い切りました。夫婦間の問題だけならまだしも、子どもへの発言はかなりショッキングです。
「わたし」にろくでなし呼ばわりされようが気にもせず、ストリックランドは居直っています。そして彼は熱をこめて言いました。「描かなくてはいけないんだ」と。
芸術への衝動
40歳にして人生の舵を大きく切ったストリックランド。絵に対する執念はもはや衝動であり、何がそこまで彼を突き動かすのかと思えるほどです。
ストリックランドが探し求めていたものは何だったのか? それは最後まで本人の口からははっきりと語られず、推測の域を出ません。しかし、富や名声でないことは確かです。彼は、画材を買えるだけの収入があればいい、自分の絵を滅多に他者に見せたり売ったりしない、そういう人間だったのですから。
ストリックランドの身勝手な生き様に関しては、何てひどい奴なんだと思う人もいれば、うらやましさを感じる人もいることでしょう。
自他ともに犠牲にすることをいとわない奇人。しかし、絵に対してだけはひたむきで、残りの人生のすべてを捧げた画家。
「わたし」もまた、そんな彼に作家として興味を引かれていただけでなく、ある種畏敬の念を抱いていたのではないかと思います。また、当時のストリックランドの年齢に追いついたからこそ思うところもあるのかもしれません。
パリ編
5年後、パリに移住した「わたし」は、友人の画家ストルーヴェを介してストリックランドと再会します。
傷だらけの魂
美とは、芸術家が世界の混沌から魂を傷だらけにして作り出す素晴らしいなにか、常人がみたこともないなにかなんだ。(中略)美を理解するには、芸術家と同じように魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない。
大衆受けするモチーフを描いているので、ストルーヴェの絵はそれなりに売れています。他方で、同業者からは拙い絵だと鼻で笑われるような出来でもあるようです。
しかし、ストルーヴェは先見の明と優れた審美眼を持っていました。固定観念にとらわれず、まだ無名画家であったストリックランドの才能をいち早く見抜いていたのです。
上に引用したストルーヴェの発言や、物語終盤に出てくるブリュノ船長のことを思うと、芸術家魂を解するどうかは、絵の上手い下手だけでなく、そもそも絵を描くかどうかにすら関係がないように思えてきます。
恩を仇で返す
ストリックランドが体調を崩したとき、ストルーヴェは自宅に彼を連れ帰り、献身的に看護しました。しかし、その厚意は裏目に出てしまい、結果的にストリックランドにアトリエを奪われる格好になります。
ストリックランドを毛嫌いしているブランチの態度に関しても、これは逆に……?と嫌な予感がありました。結局、最悪の事態を迎えてしまったわけです。
ストリックランドに振り回される人々の姿は、場合によっては主人公であるストリックランド本人よりも印象深いものであったり、共感を呼ぶものであったりします。ある意味で『月と六ペンス』は、群像劇的な側面を備えている『源氏物語』のような作品と言えるかもしれません。
タヒチ編
パリでの別れから15年後、「わたし」は戦争を逃れてタヒチへ向かいます。この地でストリックランドが亡くなってからすでに9年の歳月が流れていました。
これまでとは雰囲気ががらりと変わり、タヒチ編はストリックランドを知る人を訪ねるインタビュー集のようになっています。
真の故郷
各地を放浪した末にたどり着いたタヒチは、ストリックランドにとって懐かしさを覚える場所でした。「生まれる場所をまちがえた人々」というくだりが印象に残ります。
全体的に和やかな空気が漂っているのは、ストリックランドのような変人さえ寛大に受容する土地柄が影響しているのでしょう。「変種の魚」も、ここでは珍しくないのです。
また、アタは、ストリックランドにとって自分を放っておいてくれるという点で理想的なタイプの妻でした。地上の楽園のごとき奥地に居を構え、幸福な時期がしばらく続くのですが……。
幻の一作
ストリックランドの発病後、アタと子どもは差別に苦しむことになります。病気等に対する恐怖が人の攻撃性を発現させる方向に向かうというのは悲しい話です。
ストリックランドの晩年は壮絶でした。しかし同時に、その最期は非常に彼らしいものであったと思います。ストリックランド一世一代の傑作は、ほとんど人目に触れることもなく、本人の意志で幻の作品となりました。
ストリックランドを捕らえているのは、美を生み出そうとする情熱です。(中略)あの男は永遠の巡礼者です。信仰と郷愁に絶えず悩まされている。
これはストリックランドの数少ない理解者であったブリュノ船長の言葉。さまよえる魂はようやく最後の最後に安らぎを得ることができたのです。ストリックランドは秘密を全部あの世に持っていってしまいました。
タイトルについて
「月」と「六ペンス」は、直接的には作中で一度も登場しない要素です。このタイトルは何を指しているのでしょう。
たとえば金原氏は、「夜空に輝く美」と「世俗の安っぽさ」、あるいは「狂気」と「日常」を象徴しているのかもしれない、と述べています(「訳者あとがき」より)。
また、luna(月)から派生してlunatic(精神異常の、常軌を逸した)という言葉が生まれたように、その昔、西洋では狂気は月の光の影響によるものと考えられていたそうです。ストリックランドは何かに憑かれているようだ、という「わたし」の感想が繰り返し書かれていることからしても、「月=狂気」という図式には納得がいきますね。
ちなみに、個人的に「月」つながりで連想したのは萩原朔太郎作『月に吠える』。北原白秋が寄せた序文に「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である」「天を仰ぎ、真実に地面に生きてゐるものは悲しい」という言葉があります。
時に人間は、孤独で飢えた魂を満たそうとして芸術に打ち込むものなのでしょうか。ただ、ストリックランドの心情は「しづかな霊魂ののすたるぢや」(萩原朔太郎『青猫』序より)ではなく「熾烈な霊魂のノスタルジア」と表する方が適当かもしれませんが。