芥川龍之介『枯野抄』

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冷え込む朝が増えたり、枯れ葉が落ちるのを目にしたり、秋から冬へ季節の移り変わりを感じる今日この頃。
今回は、俳聖・松尾芭蕉の最期を看取る弟子たちの内面描写が秀逸な『枯野抄』を紹介します。

芭蕉と門下生

時は元禄7年10月12日(新暦では11月28日)、薄暗い午後。死の床にある芭蕉を弟子たちが取り囲んでいます。

一部ですが、登場する蕉門(芭蕉の門下)の人々を紹介しますと、大体次のような感じです。本作では、複雑に揺れ動く彼らの心のありさまに焦点が当てられていきます。

榎本/宝井 其角(えのもと/たからい きかく)
蕉門十哲の一人。都会的な作風の持ち主で、のち江戸座の洒落風を起こす。

向井 去来(むかい きょらい)
篤実な人柄で知られる。芭蕉からの信頼も厚く、芭蕉没後もその教えを固く守っていた。

内藤 丈艸(ないとう じょうそう)
蕉門十哲の一人。温厚かつ無欲な人物で、人々に慕われていたという。なお、彼の名句の一つ「うづくまる薬の下の寒さかな」は、病床に伏している芭蕉のもとにいたとき詠まれたものである。

各務 支考(かがみ しこう)
蕉門十哲の一人。美濃派の祖で、蕉風を全国に普及させた。ただ、性格には難があった模様。

広瀬 惟然(ひろせ いぜん)
軽妙洒脱で口語調の俳句が特徴。性格は天真爛漫。

末期の水をとる時

さて、医師からいよいよであることを告げられた門下生。緊張感と同時に安心感に似た奇妙な気持ちに包まれます。実際に芭蕉の最期がこうであったかはわかりませんが、もしかしたら実際にそうであったのかもしれないと思えてくるほど、真に迫った生々しい弟子たちの描写が続きます。

「死」を醜悪なものと見なし、やせ衰えた師匠の姿さえ嫌悪の対象とする其角。
甲斐甲斐しく師匠の世話をしたものの、それは所詮自己満足に過ぎなかったのだと自覚し愕然とする去来。
師匠亡き後の利害関係にばかり思いをはせる支考。
これといった根拠もなく、次に死ぬのは自分ではないかとおびえる惟然坊。

上に記したような一般に知られる弟子たちの性格を踏まえつつ、一筋縄ではいかない人間の多面性を書き分けることで、それぞれの人物像に厚みが生まれています。

反応は三者三様ですが、ひとつ彼らに共通しているのは、師を悼むのではなく師を失くす自分自身を悼んでいるということ。師匠である芭蕉は結局「限りない人生の枯野の中で、野ざらしになつたと云つて差支へない」と、ひねくれ者の支考は考えます。

老実な丈艸でさえも、師のプレッシャーから解放されたような安らかな心持ちにひたるのです。「『悲歎かぎりなき』門弟たちに囲まれ」という最後の一文がまた、皮肉がきいています。同じ舞台設定でいくらでも美談風にまとめることもできたでしょうに、そうでないところがやはり芥川龍之介。

旅に病むで夢は枯野をかけめぐる

当然ですが、本作は今際の際にある芭蕉本人の視点を欠いています。私は、芭蕉自身はいったいどんな気持ちで最期の時を過ごしていたのか、という点が気になってきました。

芭蕉は、九州へ向かう旅の途中、大坂で病に倒れました。
本作の冒頭にも引用されている「旅に病むで夢は枯野をかけめぐる」という句は、芭蕉の亡くなる数日前に詠まれたもので、(識者の意見は割れているものの)辞世の句であると考えられています。

芭蕉が、もう現実には旅を続けられないという無念な気持ちであったのか、回復したら再び旅に出ようという先を見据えた気持ちであったのか、実際のところはっきりはしません。
けれど、私は前向きな意味にとらえたいと思っています。どちらにせよ、どんな時でも夢に遊ぶことは自由です。 

「もっと旅したい」「もっと俳句を詠みたい」「もっともっと生きたい」──想像ではありますが、芭蕉が内に抱えていたであろう思い、これだって全部エゴです。

逆に「この人に生きていてほしい」というのも、その人のためというよりも「その人が一緒にいてくれると自分が幸せだから」というエゴなのかもしれない、と考えたりもします。

人間は誰だってエゴイスト。そして、心は自分でもどうにもできない時がある。

本作は人間のエゴイストとしての側面をえぐりだしています。しかし、弟子たちが格別嫌な人物かというと、そんなことはないでしょう。彼らは清濁併せ持ったごく普通の人間です。そうであるからこそ、読み手である私たちの心は波立たずにはいられないのだろうと思います。