テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』

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『ガラスの動物園』(原題:The Glass Menagerie)は、劇作家テネシー・ウィリアムズの代表作のひとつです。タイトルは、ヒロイン・ローラがガラス細工をコレクションしていることに由来しており、繊細で傷つきやすい彼女の心を象徴しています。

あらすじ

舞台は1930年代のアメリカ。ウィングフィールド家は母アマンダ、その子どものローラとトムの三人暮らしである。裏通りのアパートに暮らす家族には悩みがつきない。

ある日、ローラがビジネス・スクールをずっと欠席しているという事実を知ったアマンダは、ひどく動揺する。職業婦人になるのが無理なら家庭に入るしかない。そう考えた彼女は、婿候補となりそうな同僚を家に呼ぶようトムに求めるが……。

内容紹介と感想

追憶の劇

登場人物はたったの4人。筋書きもシンプルで、第一幕はトムの同僚ジムがウィングフィールド家を訪問するに至るまでの経緯、第二幕は食事に招かれてジムが実際にやって来る、ただそれだけの話です。

本作については、「追憶の劇(memory play)」であるという断りが入れられています。語り手でもあるトムの「追憶の世界」。ありのままの現実を描写しているわけではないものの、そこに真実を見出すことができるというのです。

絵でたとえるなら、デフォルメして描かれた似顔絵みたいなものでしょうか。写実的ではないけれど、誇張・強調・単純化等によりその人の特徴がわかりやすくなる。本質をとらえていると言えるのかもしれません。

ですから、彼らはどこにもいない家族であると同時に、どこにでもいる「家族」の姿を私たちに見せてくれます。

夢想と現実

中流の下に位置するウィングフィールド家。三者三様に現実から目をそむけており、不況にあえぐ現代日本的な問題を抱えた家庭でもあります。

過去の栄光にすがるアマンダ

昔は多くの男性に言い寄られていた、あの人と結婚していたら今頃お金持ちだったはず……そんな身にならない話ばかり繰り返すお母さん。

意欲的ではあるものの的外れな言動も多く、ややヒステリックな面も見られます。もちろん、我が子を心配する愛情深い女性であることも確かなのですが。

夫は十年以上前に蒸発しており、そのことがなければ現在の彼女、ひいてはウィングフィールド家の姿はもっと違っていたでしょう。第五の登場人物とも言える父親は、不在をもって存在感を放つという特異なキャラクターです。

劣等感に苛まれるローラ

脚が悪いことがコンプレックスで、極端に内向的な性格になってしまったお姉さん。趣味はガラス細工の収集と古いレコードを聴くこと。

一応学生なのですが、大勢の前だと緊張して気分が悪くなってしまうことから、授業中に失敗。以来、不登校状態です。

高校時代、遅れて教室に入っていくと、添え木がとてつもなく大きな音を立てているように感じたという彼女。気持ちはよくわかりますが、ジムも言っていたように、そういうことって周りの人は全然気にしていなかったりするんですよね。

夢を追いながら薄給に耐えるトム

詩人を目指してはいるけれど、家族のために倉庫での仕事を続けざるを得ない弟。家にあまりいたくないのか、夜遅くまで映画を見て過ごすことが多いようです。

父親がいたら。母親の物分かりがもっとよかったら。姉が健康で社交的だったら。きっといろいろなことを考えていたことでしょう。

不満はたくさんある。時にはそれが爆発して親と喧嘩になることもある。けれど基本的には自分を抑えて、明日も「家族」をやっていくしかない。そんなふうに割を食っている印象を受けます。ただ、最終的に彼は父親と同様に家を出て行ってしまうのですが……。

「現実世界からの使者」ジム

感じのよい若者で、ローラの高校時代の片思いの相手でもあります。単体ではなく、ウィングフィールド家との対比で活きる人物造形です。

一家の期待を背負って登場しますが、彼は白馬の王子様ではありません。高校では人気者で将来を有望視されていたものの、その後はぱっとせず、トムより少しお給料がいいだけの男性。私たちの身近にもいそうなリアルさを持っています。

それでも前向きな彼は、専門知識を身につけるべく夜学に通っています。将来のために努力している点はトムと同じですが、遥かに実際家なのです。

ローラに好意的で、何だかいい雰囲気……かと思いきや、すでに婚約者がいることが発覚。好青年ですから、当前と言えば当前ですね。一瞬だけ一家に夢を見せてくれましたが、すぐさま現実を突き付けて去っていきます。

青い薔薇とユニコーン

ローラのモデルは、作者の実姉ローズだそうです。精神的に不安定な状態が続いた結果、ロボトミー手術を受けさせられたという話を知った際は、たいへんショックを受けました。

ローラのあだ名は「青い薔薇」。作中でそう呼ばれるようになったのは、ジムが胸膜炎(pleurosis)を青い薔薇(blue roses)と聞き間違えたから。しかし、作者のお姉さんの名前がローズであることも踏まえているのかもしれませんね。

自然界には存在しない青い薔薇。お気に入りのガラス細工が角のある馬ユニコーンであることと同様に、ローラの他の人とは違う部分や孤独を表しているようです。

ここでホラー映画『シックス・センス』の話を少々。ラストが取り沙汰されがちな作品ですが、ヒューマンドラマとしての側面も魅力なのです。

メインキャラクターの男の子は幽霊が見えるという特殊能力を持っており、本人にとって悩みの種でもあるのですが、これをもっと現実的な個性等に置き換えてみてもよいと思います。この映画のよいところは、その個性をなくすのではなく、うまく折り合いをつけて生きていく方法を見つけて終わる、という点です。

アマンダは我が子に「普通」の幸せをつかんでほしいと思っているのでしょう。しかしトムが指摘するように、自分たちにとっては愛する家族でも、世間的に見てローラは「変わり者」です。『シックス・センス』のように、まずはそれと正面から向き合わないことには、前に進めないのではないでしょうか。

一方、ジムはローラが「変わり者」であると認識したうえで、だからこそ彼女は「美しい」のだと言いました。

本作は、安易にハッピーエンドにしなかったことで、より人々の記憶に残るストーリーに仕上がっています。ただ、個人的にはそれほど悲痛には感じませんでした。それは、ジムの発言も含め、ローラに向ける作者の眼差しが一貫して温かいからだと思います。

おわりに

終盤に家を飛び出したトムは、現在に至るまで安住の地を見つけられずにいます。罪悪感を抱いたまま、異国でもローラの影を引きずっているのです。それは作者の姉ローズに対する自責の念を反映してもいるでしょう。

最後にローラがろうそくの火を吹き消し、トムは観客に別れを告げます。すべての思い出は闇の中に。私たちの心に「家族」の肖像を刻んで、追憶の物語は幕を下ろします。