井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』、福沢諭吉『福翁自伝』

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井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』―幕末を生きた漁師の数奇な人生

『ジョン万次郎漂流記』は第6回直木賞受賞作品。土佐の漁師、万次郎の波乱万丈の人生を描いています。

あらすじ

万次郎が十代のころ、彼と四人の漁師仲間は嵐に遭い、漂流することになりました。無人島での生活を経て、彼らは異国船に救助されます。その後、万次郎は仲間と別れてアメリカへ行き、そこで教育を受けました。

熱心に学問に打ち込む万次郎でしたが、十年以上の歳月が流れてついに帰国します。

当時の日本はまさに開国期。英語に堪能な万次郎は当然重宝されました。教授として活躍するほか、日米修好通商条約の批准書交換にあたり、1860年に通訳として使節に加わることになったのです。

人物紹介

帰国後、万次郎は苗字を名乗ることを許され、故郷の名をとって「中浜万次郎」としました。一方、アメリカ人の船員からもらった愛称がジョン・マンです。本名と外国風の愛称を組み合わせて、現在ではジョン万次郎とも呼称されます。

万次郎は、通訳として咸臨丸に乗船していたことで特に有名です。船将は、海だの舟だの名前につけているわりに船酔いする男・勝麟太郎(海舟)。さらにほかのメンバーには、英語を独学で学んだ福沢諭吉もいました。

万次郎が教授を務めた藩校の生徒には岩崎弥太郎や後藤象二郎などがおり、彼が伝えた海外での体験の数々は坂本龍馬に影響を与えたともいいます。

作品の感想

激動の時代を生きた万次郎。遭難したことで彼の人生が大きく変わったのは間違いありませんが、ほかの仲間は同じ道をたどりはしませんでした。長きにわたりアメリカで勉学に励むことになったのは、若さゆえか、本人の元来の資質によるものか、あるいはその両方でしょうか。

井伏鱒二は、その鋭い観察眼をもって万次郎の軌跡を丹念に描いています。史料から得られる情報を膨らませ出来上がった本作は、小説というよりはもはや実録。現代の記者がタイムスリップして書いたルポといった趣さえあります。

本作は偕成社の児童文庫にもラインナップされているくらいで、もともと短い作品です。加えて、上記のような特徴から小説としては味気ないと感じる人もいるかもしれません。

万次郎を主人公とする長編小説としては、津本陽『椿と花水木 万次郎の生涯』などがありますので、がっつり読みたいという方はお好みでどうぞ。

福沢諭吉『福翁自伝』にみる咸臨丸渡航

福沢諭吉と言えば一万円札の人というイメージが強いですが、数年後にデザインが代わる予定らしいですね。これからは顔を見かける機会も減っていくのでしょうか。

『福翁自伝』は諭吉の生涯を振り返った自叙伝で、なかには咸臨丸に乗り渡米した際のエピソードもあります。万次郎について触れている箇所はあまりありませんが、二人でおそろいの辞書を買ったそうです。

その時に私と通弁の中浜万次郎と云う人と両人がウエブストルの字引を一冊ずつ買て来た。是れが日本にウエブストルと云う字引の輸入の第一番、それを買てモウ外には何も残ることなく、首尾克く出航してきた。

ちなみに、海舟の船酔いはよほどひどかったようですね。こんなふうに書いてあります。

勝麟太郎と云う人は艦長木村の次に居て指揮官であるが、至極船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった。

アメリカ到着後の描写は、実体験であるだけにひとつひとつが新鮮な驚きに満ちています。
馬車にびっくり、靴のまま絨毯に上がってびっくり、春だというのにコップの中に氷が入っていてびっくり。日常生活だけでもカルチャーショックの連続です。現地の写真屋の娘さんといっしょに写真を撮り、帰りの船で仲間にそれを見せびらかしたりもしました。
また、血縁関係を必要としない交代制の大統領制度など、日本との体制面の違いにも注目しています。

実際に見聞きしたことや本から得た知識をまとめた福沢諭吉著『西洋事情』は、15万部の大ヒットとなりました。ベストセラー作家さんですね。当時の人々の海外に対する関心の高さがうかがえます。

おわりに

グローバル化の第一波は幕末維新期に来たと言えるでしょう。現在はIT化によりまた違った形でのグローバル化が進んでいますね。

環境の変化の波に飲み込まれるか、流れに身をゆだね受容するか、積極的に波を乗りこなすかは、結局その人次第ではないでしょうか。

幕末・明治維新期の国際人、万次郎。彼の人生自体に、歴史の流れに翻弄される漂流生活のような一面があったとしても、そこに当人の意志がなかったとは思いません。