『生まれ出づる悩み』は1918年の小説。文学者である語り手は、ある青年に共感を示しながら、芸術と向き合う姿勢について考えを深めていきます。
あらすじ
札幌に住んでいた頃のこと。ふいに「私」のもとを訪ねてきた十六、七の「君」は、自分の絵を見てほしいと言い出した。妙に力強い印象を残していった「君」ではあるが、ほどなくして連絡が途絶えてしまう。
時は流れ、「私」の生活にも大きな変化があった。それでも、ふとした拍子に「君」のことを思い出さずにはいられない。そして、ひどくさびしい気持ちになるのだ。
十年後、久しぶりに「君」から届いた手紙と、スケッチ帳に描かれた北海道の風景を見て、「私」は心動かされる。
真の芸術家である君。家族のために漁師として働き続けてきた君。「私」は「君」の人生を思い、想像の翼を広げ始める……。
内容紹介と感想
「君」の物語
「私」の記憶の中では背の伸び切らない、ぶっきらぼうな少年だった「君」ですが、再会したときには優しい笑顔の筋骨たくましい青年に成長していました。
しかし、外見は様変わりしても、絵に対する熱量は少年時代のまま。「君」の内に秘めた繊細さも伝わってくるのです。
「だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」
文学者として原稿用紙に向き合う「私」もまた、「芸術の宮殿」を築き上げようともがいていました。
そんな「私」に「君」が語った話は強いインスピレーションを与えたようです。「私」の脳裏にはまるで見てきたかのように「君」の暮らしぶりが浮かんでくるのでした。
そういうわけで、本作の大部分は「私」による創作であり、半ば二人称小説のような格好になっています。
自然の憤怒
本作は全編を通してたいへんな美文で、詩的な比喩表現が随所に見られます。船出の様子が「激烈なアレッグロで終わる音楽の一片」と表されるなど、五感を駆使した言葉遣いが作品により奥行きを与えているように思いました。
なかでも、荒れ狂う海を怒れる自然として描写している六章は劇的なシーンが続きます。雪風や荒波は悪魔や猛獣にたとえられ、そんな過酷な状況でも「死にはしないぞ」と本能的に決め込んでいる「君」。
自然を前にした人間の非力さだけでなく、人間の気高さ・不屈の精神も同時に感じられる筆致です。このように本作は、ヘミングウェイの『老人と海』を思わせる海洋小説としての魅力も備えています。
孤独な異邦人
学校のある東京を離れ、故郷に帰った「君」を待っていたのは、さびれる一方の港町での余裕のない生活。しかしながら漁師としてどんなに忙しい日々を送っていても、芸術に対する情熱の炎は決して消えることはありませんでした。
芸術家というのは得てして孤独に陥りがちなものですが、こと絵を描くという行為に関して「君」の身近なところに理解者はほとんどいません。周囲から変人扱いされ、地元にいながら異邦人のような気分になってしまう「君」の姿にやるせなくなります。
家族のことを考えると、うしろめたさだってあります。それでも、いざ絵を描き始めると時を忘れて没頭してしまう。
魚臭い手作りのスケッチ帳。時間もお金もないので色をのせることすら叶わない鉛筆書きの絵。頭の中は構図のアイデアでいっぱいなのに、自分の見たもの・感じたものを上手く形にできないもどかしさ。
そんなひとつひとつの描写から、「君」の質素な生活や素直な心のありよう、鋭い感性がよく伝わってきます。
「君」が思いのたけを書き殴った手紙を読んだ「私」が、「感力」という造語に感嘆し、そこに崇高な魂を見出したのも無理からぬことでしょう。
春が来る
自然は人間以上の感情を持って「君」に強く語りかけてきます。「ほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画」を描く「君」との交流を通して、「私」は地球が生きていると痛感しました。
ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み──それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。
(中略)
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし……僕はただそう心から祈る。
「君」に芸術の道をひた走ってほしいという気持ちはあるものの、「私」はそうは言いませんでした。それは本人が自分の力で乗り越えなければならない苦しみだからです。
確かに、誰かの人生に口出しするなんて差し出がましいことかもしれません。その人が真剣に悩んでいるのなら、その決断を左右するような発言はなおさら安易にはできないでしょう。
だから「私」は「君」のことを、そして「君」と同じように悩み苦しんでいる人々のことを思い、ただ幸せを願うのでした。
登場人物のモデル
「君」のモデルは、北海道岩内(いわない)出身の画家・木田金次郎(きだきんじろう)。木田が有島武郎を知ったのは札幌で開催された展覧会がきっかっけで、有島の絵に感銘を受けたとのこと。その後、自身のスケッチを手に有島を訪ねたこと、漁師をしていたことなども「君」と同じです。
なお、作中に登場する若者の苗字は木本(きもと)といいます。度々「君」のことを思い出していたにもかかわらず、十年ぶりに連絡があったとき、「私」はその名前を見てもピンとこないままでした。
木本君と名前で呼んでいるのは会話シーンで一度きり。地の文では一貫して「君」です。これは、芸術を志す同志として親しみをこめているからでしょうか。それとも「私」の中で「君」はどこか象徴的な存在になっていたのでしょうか。
おわりに
読者の中には、「君」のように今まさに人生の岐路に立っている人、夢と現実の間で板挟みになっている人もいるでしょう。
生きていれば何かしらの困難に遭遇し、大きな決断をしなければならないときが訪れるもの。芸術か生活かという悩みを掘り下げた『生まれ出づる悩み』ですが、芸術に携わる人でなくとも感じ入るものがあるのではないでしょうか。
本作は、最終的には「君」=木本君だけでなく、苦悩しながらも前を向く「君たち」へ熱いエールを送っており、読んでいて励みになる名作であると思います。