ダンテ『神曲』

古典文学
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天国篇(Paradiso)

案内人はウェルギリウスからベアトリーチェ(最終的には聖ベルナール)にバトンタッチ。理性の象徴たるウェルギリウスの限界は煉獄までなのです。

天国だけあって卓越した人物ばかり出てきますが、第1~3天に属する魂には短所(善行を積んだが名誉欲があった等)も見られます。

難解さを増す議論

神学的宇宙観による議論が交わされるなど、天国篇は一層難解です。

しかし、訳者の注釈の中で「これは天国篇が活動に乏しく、単調で、退屈だ、という批評にたいする弁護だが」という言葉(サイモンズ著『ダンテ研究』に関するもの)を見つけ、天国篇に物足りなさを感じるのは自分の理解力がないせいだけではないんだな、と内心ほっとしました。

天国をめぐる旅
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先祖との邂逅

戦いの神マルスにゆかりのある火星天(第5天)には、信仰のために戦い、散っていった殉教者の魂がいます。

その中には十字軍の戦士カッチャグイダの姿もありました。アリギエーリ家のルーツである、ダンテの高祖父(祖父の祖父)です。

カッチャグイダは、懐古の情やフィレンツェの現状への不満をひとしきり語った後、ダンテが将来陥る放浪生活について予言します。作中においては未来の出来事ですが、現実のダンテにとっては現在進行形のお話です。

さらに高祖父は今回の旅を詩にするようすすめました。きっとおまえの名前ははるか未来まで伝わるはずだ、と。事実そうなっているのがすごいところです。

地獄篇・煉獄篇を通してウェルギリウスが度々ダンテを激励する場面があったのと同じく、このカッチャグイダの台詞もまた、作者が自らを奮い立たせるために書いた言葉でもあるのでしょう。

ちなみに、ウェルギリウスの最後の作品『アエネーイス』でも同様の手法(作中に出てくる予言=読者視点では過去・現在)がとられていたり、身内(父親)に会いに冥界に行くくだりがあったりするようで、ダンテはこの辺も意識していたんですかね。

ある疑念

地獄篇にて、善人なのに辺獄止まりで天国に行けない魂が存在する、という点にひっかかった読者もいるのではないでしょうか。

ダンテの心にも疑念がきざしました。それはキリスト教信者以外の救いの可能性についてです。

木星天(第6天)にやってきたとき、ダンテは正義を愛した人々の魂で形成されている鷲にその質問を投げかけました。

結果、〈神の正義は人間には測りかねない〉との回答。この返事に納得いくかどうかは受け手によるように思います。

信仰と希望

ダンテは恒星天(第8天)で聖ピエトロや伝導者ヨハネを相手に口頭試問を受けることに。天国にも面接ってあるんですね。

「信仰とは何か」という問いかけに対し、その本質は「望みの実体であって、まだ見ぬものの論証」である、とダンテは述べます。そして「希望」とは「未来の栄光を疑念をさしはさまずに待つこと」。

これ以前にも繰り返し語られていることですが、意志の強さが大事なのでしょう。途中ダンテは故郷へ錦を飾るイメージを浮かべますが、史実を考えるとしんみり。

星をも動かす愛

最後に「愛」、ひいては善について質疑応答。その後、ついに第10天へ到達。

至高天(エンピレオ)には祝福された魂、天使や諸聖人が集まっており、その並び立つ姿は一厘の薔薇の花のようです。

長い物語は「太陽やもろもろの星を動かす愛」という美しい言葉で締めくくられます。ダンテの心を突き動かすのは「愛」なのです。

おわりに

訳注頼みで、本文と反復横跳び状態で読みました。大長編というだけでなく、知識がないと話がわからないところも多く、さらに後半に進むにつれて内容がどんどん難しくなっていくという点でも気軽に人にすすめにくい作品です。

とはいえ、何度も言及されている、勤勉であれ・強固な意志を持て・愛を大切に、といったポイントに目を向ければ、時代や国を問わず普遍的なテーマを扱っているともいえます。

後世の創作への影響も大きく、比較的内容を把握しやすい地獄篇を手始めに読んでみて、それから続きをどうするか決める、というのもありかもしれません。