中島敦『文字禍』

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今回は、ゲシュタルト崩壊を扱った中島敦の短編『文字禍(もじか)』をご紹介します。

あらすじ

最近、宮廷では妙な噂が流れている。夜ごと王立図書館でひそひそと怪しい話し声がするというのだ。

いくつかの探索を経て人々は、もはや未知の精霊──すなわち文字の霊のしわざとしか考えられない、との結論に達した。そして、文字の霊を研究するよう老博士ナブ・アヘ・エリバに王命が下ったのだが……。

内容紹介と感想

舞台は古代メソポタミア、アッシリヤ帝国の首都ニネヴェ。アッシュールバニパル王が図書館を建設したことでもよく知られる地です。

なお、ここに保管されている書物は楔形(くさびがた)文字が刻まれている粘土板なので、図書館と聞いて私たちが通常抱くイメージとは隔たりがあります。

ゲシュタルト崩壊

研究のため、図書館で文献とにらめっこを始めたナブ・アヘ・エリバ。一つの字をじっと見つめ続けた結果、ある時突然「今まで一定の意味と音とを有(も)っていたはずの字が、忽然と分解して、単なる直線どもの集りになってしまった」のです。

このように、同じ漢字をずっと見つめたり何回も書いたりすると、その字が意味不明な何かに見えてくる、という体験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。

今ではゲシュタルト崩壊として知られる現象が起きたのですね(厳密に言うと、ゲシュタルト崩壊が起きるのは視覚情報に限らないそうです)。ゲシュタルト(Gestalt)はドイツ語由来の心理学用語で、まとまった意味と構造を持つ形態、統合性・全体性のことを指しています。また、ゲシュタルト崩壊の原因については現在でもはっきりしない点があるとのことです。

ナブ・アヘ・エリバはと言えば、文字に意味と音のまとまりを持たせている存在こそが文字の精霊なのだと考え、さらなる研究を進めることにしました。

文字の精霊

文字の霊、文字の精霊という字面からは、日本の言霊(ことだま)を連想します。
言葉に霊力が宿っている、ある言葉を発するとその内容が現実のものになる、というのが言霊信仰の考え方です。『文字禍』は海外を舞台にしたお話ですが、このようなものの見方がベースにあるように思われますね。

呪いはあったか

ある日、若い学者と歴史的事実の在り方について議論している最中、ナブ・アヘ・エリバは思わずこんな言葉を発します。

「書かれなかった事は、無かった事じゃ」
「文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ」
「君やわしら・・・が、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしら・・・こそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕しもべじゃ」

この時の会話をあとで振り返って、ぞっとする博士。統計をとり、文字を覚えることで生じる弊害を痛感していたところだというのに、なぜ文字の霊を賛美するようなことを言ってしまったのでしょう。文字は本物の影だと考えていたはずなのに、なぜ文字で書かれた方が本体であるかのように語ってしまったのでしょう。

ところで、本作にも出てくる「呪い」というものの存在をあなたは信じますか?

ここで再び日本文化の話を少々。日本語の「呪う」は、宣言する・言うといった意味の「のる(宣る・告る)」から派生してできた単語のようです。つまり、言霊信仰とも絡んでくるわけですね。
私は摩訶不思議な力としての呪いは信じていませんが、人が言葉にとらわれているとき、それはある種「呪われている」と言ってよい状態だとは思います。

言葉というのは不思議です。目標を口に出したり、紙に書いて貼っておいたりすると、もっとがんばろうと強く意識して実現に近づくことがあります。逆に、おまえには無理だと言われ、自信喪失して本当にだめになってしまうこともあります。

このマイナス方向に働く言葉の力が呪いなのではないでしょうか。ナブ・アヘ・エリバは、自分で自分に呪いをかけはしなかったでしょうか。私には博士が自縄自縛に陥っているように思えるのです。

バラバラになった世界

図書館で文字のゲシュタルト崩壊を経験したその日から、ナブ・アヘ・エリバの身には異変が起きていました。普通は一時的なものに過ぎないはずの現象がずっと続き、しかもその範囲は文字だけに収まらなかったのです。

彼が一軒の家をじっと見ている中に、その家は、彼の眼と頭の中で、木材と石と煉瓦と漆喰との意味もない集合に化けてしまう。これがどうして人間の住む所でなければならぬか、判らなくなる。人間の身体を見ても、その通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分部分に分析されてしまう。どうして、こんな恰好をしたものが、人間として通っているのか、まるで理解できなくなる。眼に見えるものばかりではない。人間の日常の営み、すべての習慣が、同じ奇体な分析病のために、全然今までの意味を失ってしまった。もはや、人間生活のすべての根柢が疑わしいものに見える。

ナブ・アヘ・エリバの世界は、バラバラになってしまいました。
老博士は、新しい知見を得たことで一般常識というフィルターを失い、懐疑的になってしまったのか。あるいは脳などの病気にかかったのか、はたまた本当に文字の精霊に呪われてしまったのか(このあたり、言語論的転回といった構造主義の知識を踏まえて読むともっと深い考察ができそうですが、私には無理でした)。そして、ラストは……。

まさにタイトル通り文字がもたらした禍(わざわい)の物語。文字と深く関わり、文字がつくり出す影の世界に引きずり込まれ、文字に振り回されたナブ・アヘ・エリバ。そんな彼らしい最期をもって物語は幕を下ろします。