江戸川乱歩『押絵と旅する男』

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あらすじ

「アア、あなたは分って下さるかもしれません」

「あれらは、生きて居りましたろう」

夢か幻か、はたまた別世界を垣間見たのか──私が夜汽車で出会ったのは、押絵と旅する男であった。

内容紹介と感想

前回の『なよたけ』に続き、恋に思い悩んだ末に行くところまで行ってしまった男の物語です。

列車の中で奇妙な男と出会い、その荷物の中身を見せてもらうと……というシチュエーション。京極夏彦『魍魎の匣』の作中作「匣の中の娘」をご存知の方は、似た雰囲気を感じるかもしれません。なんだか男がうらやましく──なるかは人それぞれでしょうが。

生きた押絵

魚津に蜃気楼を見に行った帰り、「私」が乗った車両には、ほかに一人だけ客がいました。古風な服装をした、年齢不詳の男は、荷物から額を取り出して窓に向けて立てかけています。そう、まるで額に外の景色を見せてやるかのように。

その極彩色の絵の中では、持ち主の男によく似た洋装の老人と、振り袖姿の美少女が寄り添っていました。粗雑な背景とは対照的に、リアリティあふれる人物画。もっと言えば、彼らは「生きて」いました。

奇妙な恋物語

男は身の上話を始めました。絵の中の老人は、彼の兄だというのです。

明治28年、兄弟がまだ若者であった頃。兄は、遠眼鏡を通して見かけた若い娘に恋をしました。ところが、ようやく見つけた彼女は実在の人物ではなく、『八百屋お七』の覗きからくりの押絵だったのです。

八百屋お七というのは、恋人に再会したいがために放火事件を起こし身を亡ぼした女性の話です。覗きからくりの舞台がこの作品であったのは意味深ですね。恋は時として人をとんでもない行動に走らせます。

恋煩いの果てに兄がとった方法。それは、遠眼鏡を逆さに使うことで自分の体を小さくし、絵の中に飛び込むというものでした。経緯を知っているのは弟のみで、周囲の人間はこんな話を信じるはずもなく、兄は失踪したものと見なされました。

念願叶った兄ですが、元々生身の人間である彼は、娘と違って老化していきました。それが現在悲しげな表情をしている理由だとのことです。

よるの夢こそ…

男の語りに引き込まれるあまり、押絵が生きているような気がしただけだったのでしょうか。

そもそもおまえは魚津に行ったことなんてないだろう、と「私」は後に友人につっこまれています。よって、「私」自身疑問に思っているように、男と会ったことですら現実であったか怪しい状況です。

「うつし世は夢 よるの夢こそまこと」とは作者の言。蜃気楼も望遠鏡も、天然と人工の違いはあれど、実物ではなくその像を見ている点では共通しています。実体をうつし世とすれば、その影は夜の夢のようなものでしょうか。

作中の出来事の虚実はさておき、本作を読んで、夜の闇に溶けこんでいく男の姿が頭をかすめた瞬間、私はそこに一つの「まこと」を見たようにも思うのです。