加藤道夫『なよたけ』

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『なよたけ』(1946年)は、劇作家・加藤道夫が手掛けた戯曲。題材は、物語文学の元祖とされる竹取物語です。

比較的最近の作品である、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、脚色を加えながらも大筋は竹取物語に沿っていました。しかし『なよたけ』は、竹取物語が生まれるまでを描いた点に特色があります。

なお、タイトルとヒロインの名前に使われている「なよたけ(弱竹)」の意味は、細くしなやかな竹のこと。また、枕詞「なよたけの」はそのようなイメージの女性を指します。

あらすじ

世の中のどんなに偉い学者達が、どんなに精密な考証を楯にこの説を一笑に付そうとしても、作者はただもう執拗に主張し続けるだけなのです。

「いえ、『竹取物語』はこうして生れたのです。そしてその作者は石ノ上ノ文麻呂と云う人なのです。……」

竹林近くの丘の上で父と別れた文麻呂は、友人の清原を見かける。清原は、近隣に住む竹の精のごとき美少女なよたけに恋しているらしい。当初は清原を応援していた文麻呂であったが、いつしか彼自身がなよたけに恋をするようになっていた。

主な登場人物

石ノ上ノ文麻呂(いそのかみのふみまろ)
物語の主人公。詩をたしなみ、万葉の心を理想としている。父・綾麻呂(あやまろ)は、大納言のせいで左遷され、冒頭で東国に旅立つ。

清原、小野
文麻呂の友人で大学寮学生。清原は、なよたけに思いを寄せる男の一人。

大納言・大伴ノ御幸(おおとものみゆき)
石ノ上親子の仇敵で、狡猾な中年男。お忍びでなよたけに文を送っている。

讃岐ノ造麻呂(さぬきのみやつこまろ)
なよたけの養父。貧しい竹かご作りの職人。娘の変人ぶりに手を焼いている。

なよたけ 
浮世離れした美しい少女。都の人間や暮らしを極度に嫌い、わらべ達とだけ親しくする。

内容紹介と感想

第一幕 親子の別れ/友の恋

綾麻呂は、和歌や恋物語を書いている息子を心配しています。しかし、文麻呂は昨今の軟派な流行歌とは違うのだと主張。舞台は平安時代ですが、本作では現代の若者批判と思しき台詞が時折見られます。

また、主人公が詩人なだけあって詩的な表現が多いのも特徴です。

……恋とは夢だ。……「夢」とは全き放心だ。その正しい極限では一切が虚無となる。一切が存在しなくなる。それは未来永劫を一瞬に定着する詩人の凝視を形成する場所だ。真実のうたとはそこに生れるのだ。

これは、文麻呂から清原への激励の言葉。読んでいて幽玄の世界へ誘われる心地がします。

第二幕 大納言の求婚/なよたけとの対面

ようやくヒロイン登場。虫愛づる姫君なよたけ、自然を愛するのはよいですが、極端すぎて少し苦手なキャラクターです。

さて、大納言の正体を知った造麻呂は、出世目当てで勝手に結婚話を進めてしまいました。文麻呂は、泣くなよたけに声をかけ、自分と清原は自然のこころを愛する詩人であり、彼女の味方であると説得します。

第三幕 文麻呂の孤立/幻想の辻広場

恋の炎は文麻呂へと移りました。なよたけに感化され奇行の目立つ文麻呂に対して、すっかり冷めてしまった清原は、今や文麻呂の正気を疑っています。

小野に指摘され、ようやく恋心を自覚した文麻呂。友人らに絶交され、世間からは隔絶された彼には、なよたけの愛だけが頼みですが……。

主人公の精神状態もありますが、周囲の人間の言葉(幻聴?)が酷なものばかりで、正直言って第三・四幕は読んでいてひどく疲れました。

第四幕 赫映姫(かぐやひめ)の言い伝え/なよたけの消失

文麻呂はなよたけの住む竹林に向かいますが、竹取翁と話がかみ合いません。

なよたけは月の都から送られて来た天女じゃ! 人の世の女として愛してはなりませぬぞ! なよたけは夢じゃ! うつそ身の女として愛してはなりませぬぞ! 

美しい夢を共有する同志として、なよたけの話を後世まで伝えてほしいと翁は言います。

幻想と現実が交錯するような展開が続き、不安をあおられますね。ここに登場する竹取翁は、文麻呂自身の心の反映なのでしょうか。

なよたけの声に導かれ、文麻呂はようやく彼女のもとにたどり着きます。けれど再会もつかの間、なよたけは竹林を出るべきではなかったのだと語った後、文麻呂の腕の中で最期を迎えました。

第五幕(終幕) 高く貴き駿河なる布士(ふじ)の高嶺を

久しぶりの綾麻呂登場です。日常に戻ってくることができた、と読んでいるこちらもようやく人心地つくことができました。

実際のなよたけのその後については、使用人の衛門の口から語られます。彼女もまた、良くも悪くもただの人間であったということでしょう。「文麻呂の愛したなよたけ」は、間違いなくこの世から姿を消しました。

意気消沈していた文麻呂ですが、一つの物語を書き終えたことで晴れやかな気持ちを取り戻します。いつの世にもあることですが、激しい恋が芸術に昇華されたのですね。それはかつて清原に対して言った「真実の詩」だったのでしょうか。

竹取物語にも登場する富士の高嶺を仰ぎつつ、親子の会話で物語は幕を閉じます。

おわりに

小説として読んだうえでの感想を書かせていただきましたが、もし舞台を鑑賞する機会があれば、印象がかなり変わるのかもしれません。

語り継ぐ者、信じる者がいるからこそ存在できる。そのような「なよたけのかぐや姫」の物語を文麻呂が紡いのだと考えて、竹取物語を読んでみるのも面白いと思います。