藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』ほか

※当サイトでは、第三者配信のアフィリエイトプログラムにより商品を紹介しています。

『ドラえもん』や『キテレツ大百科』など、児童向け作品で幅広い世代に知られる藤子・F・不二雄。しかし、大人向けの作品もたくさん発表しています。

今回は、『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス』『藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版』『藤子・F・不二雄 異色短編集』(小学館)等に収録されている傑作短編をいくつかご紹介します。

ページ数は少ないですが、どの作品も非常に内容が濃く、SF(Sukoshi Fushigi)な世界にどっぷり浸ることができますよ。

ミノタウロスの皿

コンプリート・ワークス1・PERFECT版1・異色短編集1等に収録。
宇宙で遭難した主人公の「おれ」は、最寄りの地球型惑星イノックスに不時着し、救助船を待つことになります。そこは、地球人類によく似た家畜「ウス」と、地球の牛によく似た支配者層「ズン類」が暮らす星でした。

滞在後ほどなくして、主人公はショッキングな事実を知ります。ウスには労働種・愛玩種・食用種が存在し、主人公を助けてくれた少女ミノアもまた、宴の席で供される身だというのです。さらに「おれ」にとって最悪なのは、ミノア本人がこれを「最高の名誉」だと思っていること。

まあっ もったいない。
ただ死ぬだけなんて……なんのために生まれてきたのか、わからないじゃないの。

彼女にしてみれば、誰にも食べられず「むだ」に亡くなる地球人の方が変なのです。
納得のいかない主人公はズン類の有力者を訪ね歩き、このような「残ぎゃくな風習」は即刻取りやめるべきだと訴えることに。

門前払いを食ってもおかしくない行動ですが、ズン類のみなさんは基本的に温厚かつ紳士的な性格をしているので、ちゃんと話を聞いてくれます。

しかし、話し合いは平行線。価値観が地球人とは根本的に異なるので、暖簾に腕押し状態です。「彼等には相手の立場で物を考える能力がまったく欠けている」と考える主人公。たぶんそれ、向こうもまったく同じことを考えていると思いますよ……と思わず言いたくなる場面です。

地球人そっくりで、自分の命の恩人でもある可愛い女の子が、このままだと食べられてしまう。主人公が居ても立っても居られない気持ちになるのは理解できます。でも、地球から迎えが来たらビーフステーキが食べたいなあ、などと考えていた自分のことは棚上げにしているんですよね。ただ、その身勝手さや矛盾を抱えているところこそが人間らしい、いや地球人らしいのだとも思います。

生き物には「生きようとする本能」があるのだという「おれ」の悲痛な叫びは、ミノアの心にも響いたものの、結局その嘆きや苦しみの意味を正しく理解してはもらえませんでした。

あれこれ書きましたが、私自身「おれ」のことを言えた義理ではありません。日々の生活において店頭などで見る肉類を、″牛という動物の身体の一部としての肉″ではなく、″牛肉″という完全に独立した何かとして捉えてしまっている節があるのですから。

作者は、価値観の違いから生まれる悲劇(あるいは喜劇)を描くのが上手いなあ、とつくづく思います。

カンビュセスの籤

コンプリート・ワークス3・PERFECT版4・異色短編集3等に収録。
主人公は、古代ペルシアでカンビュセス王に仕える兵士サルク。軍を逃げ出した彼が不思議な霧(時空不連続帯)を抜けると、そこはなんと数十万年先の未来でした。

運よくエステルという女性に助けられたものの、彼女の言動にはどうにも気になるところがあります。エステルは切り詰めた食生活を送っており、提供される「ミートキューブ」は美味ですが、サルクには物足りません。

「地獄をのがれて……別な地獄へとびこんじゃったわけね。」
「一人でいいの 一人生きのびれば十分なの。」

サルクのいた地獄。行軍の途中、食料が尽きた兵士たちは十人一組で籤(くじ)を引き、当たった一人を……。

一方、エステルの語る地獄。終末戦争後、かろうじて生き延びた人々は、1回1万年を限度とする人工冬眠を繰り返し、地球外知的生命体の助けを待ち続けました。当然、徐々に食料が不足していき……。

残された人類代表として達観した考えを持つエステル。23万歳以上と言っても、冬眠期間を除けばまだ17歳です。十代の少女がわずかな希望にすがり、究極の選択を受容してきたというのは、とても悲しいことですね。

今回紹介したような大人向け作品の中で私が最初に触れたのは本作でした。デフォルメされた絵柄のおかげで怖さが緩和されている部分がある反面、「ドラえもんとかと同じ絵柄でこんな内容を描いちゃうの!?」と衝撃を受けた覚えがあります(もっともドラえもんはドラえもんで、結構ブラックなネタが盛り込まれていたりするんですが)。

ヒョンヒョロ

きょうはく状
ヒョンヒョロをください
くださらないと誘拐するてす
マーちゃんどの

コンプリート・ワークス1・PERFECT版1・異色短編集1等に収録。
字も読めないほど幼いマーちゃんが持ってきたのは、「円盤にのったうさぎちゃん」からもらったという手紙。文面は変ですが、何者かがマーちゃんを誘拐しようとしているのだろう、と解釈した両親は動揺します。

マスコットキャラクターのような外見をした宇宙人「うさぎちゃん」は、言動もコミカル。地球のテレビドラマに影響されて、警察に「誘拐予定事件捜査本部」を作らせたり、「サツニハシラセルナ」と言いつつ自ら本部の指揮を執って張り込みをさせたりするなど、笑える場面も多いです。

しかし、待ち受けているのは驚愕のラスト。まさか誘拐がそういう意味だったとは。

大人たちは自分たちの常識から外れる存在や行動を認められません。マーちゃんは嘘ばかりついていると決めつける、「うさぎちゃん」が目の前にいても幻覚だと思い込んで無視する、子どもだからとマーちゃんを蚊帳の外にする。そんな大人たちの先入観や行動がなければ、さっさと事件は解決したことでしょう。

ある日・・・

コンプリート・ワークス5・PERFECT版7・異色短編集4等に収録。
今日は自主制作映画の発表会。サークルのメンバーたちは気合十分で、みなそれぞれに趣向を凝らした短編を上映していきます。ところが、最後の一人の作品だけが唐突な幕切れを迎え……。

対岸の火事とはよく言ったもので、事故・病気・災害・犯罪・紛争などの世の不幸は、実際に身に降りかかるまでは自分には無関係のように感じている、というのはよくある話です。自分がそんな目にあうわけがない(仮にあったとしても今すぐではない)と、なぜか根拠のない自信を持っていたりするんですよね。

しかし、決してそうではないことに気づく瞬間が来る。あるいは気づく暇さえないほど、ある日、突然に、その瞬間がやって来るのかもしれない――。この点に関し、本作は演出の妙で非常に説得力がある作品に仕上がっています。

ノスタル爺

コンプリート・ワークス2・PERFECT版2・異色短編集3等に収録。
終戦後ジャングルで生き延び、30年ぶりに帰郷した浦島太吉。しかし、生まれ育った村はダムの底に沈んでおり、出征前に形ばかりの結婚式を挙げた妻・里子もすでにこの世を去っていました。一途な里子は頑として再婚しようとせず、せめて太吉の間に子どもがいれば、と周囲にも度々言っていたようです。

そして里子のほかにもう一人、太吉には脳裏に焼き付いて離れない人物がいました。それは「土蔵の爺さま」。太吉がまだ子どもであった時分から土蔵に幽閉されていた風変わりなおじいさんです。

回想シーンを最初に読んだときは、正直言って「何なの、このおじいさん」と引いてしまいました。ところが、物語を最後まで読むと印象が反転するのです。

普段はおとなしい老人なのに、どうして太吉の出征直前に限ってあれほどまでに必死であったのか。丁寧に伏線が張られているので、再読すると「土蔵の爺さま」の心情がよくわかると思います。

主人公の名前の由来は、もちろん浦島太郎でしょう。時の流れによって、主人公はあまりに大きなものを失いました。

劇画・オバQ

コンプリート・ワークス2・PERFECT版1・異色短編集1等に収録。
15年ぶりに再会を果たしたQ太郎と正太。喜びも束の間、大食漢で騒がしいQ太郎は、正太の妻に迷惑がられるようになり……。

劇画要素は出落ちのようなもので、注目すべきは内容面です。長命なオバケのQちゃんは、ようやくオバケ学校を出たところで、まだモラトリアム期間である様子。対する正太はすでに結婚し、サラリーマンとして働いています。当然、そんな二人の間には齟齬が生じてしまうのです。

久しぶりに懐かしい仲間たちと顔を合わせた正ちゃん。お酒が入っていることもあり、旧友のハカセの誘いに乗って脱サラし、もう一度夢を見てみようか、と考えます。

しかし、それも一晩限りの話。妻が妊娠したと知るやいなや、あっさり地に足のついた生活に回帰してしまいました。父親として、夫として、これからはさらに頑張らなければならないと大張り切りで出勤していきます。

そうか……正ちゃんに子どもがね……
と、いうことは……
正ちゃんはもう子どもじゃないってことだな……
……な……

誰にも何も告げず、静かに人間界を後にするQちゃん。

本作に関しては、Q太郎(あるいはハカセ)の気持ちがわかるという人、正太の気持ちがわかるという人、両方の立場を経験したという人、さまざまな方がいらっしゃることでしょう。

正太にはもう新しい人間関係や新しい生活があります。Qちゃんと正ちゃんが友達であることに変わりはないでしょうが、正太の今の暮らしに自分が入る余地はないとQ太郎は思ったのかもしれません。ラストの物言わぬ後ろ姿がとても寂しく、胸に来ます。

【番外編】藤子不二雄(A)『まんが道』

『まんが道』は藤子不二雄A作の自伝的漫画。満賀道雄(A先生がモデル)と才野茂(F先生がモデル)という二人の少年が出会い、漫画家を目指すところから始まる物語です。

道雄くんはわりとネガティブな男の子で、そういう面がのちの作風にも反映されているように思います。ブラックユーモアを描くのは両先生ともに得意とされるところですが、『笑ゥせぇるすまん』などに代表されるように、A先生の場合はより個人のコンプレックスを刺激してくる感じがしますものね。

道雄くんにとっての茂くんは、友人でもありライバルでもあり、という印象を受けました(個人的には「A先生って、子どもの時からずーっとF先生のファンなんだろうなあ」とも思いました)。夢に向かって切磋琢磨する若者の姿を見るのは、時代や分野を問わず、胸が熱くなります。

当時の時代背景や同時期に活躍した漫画家のことなども知ることができ、本作と他の藤子作品をあわせて読むといっそう面白味が増すので、その点でもおすすめです。