モンゴメリ『青い城』

近現代文学
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今回ご紹介する『青い城』(原題:The Blue Castle)は、『赤毛のアン』シリーズで有名なルーシー・モード・モンゴメリの作品のひとつです。

あらすじ

抑圧された日々を送る孤独な女性ヴァランシー・スターリングは、このところ心臓に異常を感じていた。医者にかかった彼女は、数日後に届けられた手紙で自分が余命1年であることを知る。

生きてきたという実感さえないのに、このまま死んでしまうだなんて……。そう考えたヴァランシーは、今後は後悔のない生き方をしようと決心する。

「これまで、あたしはずっと、他人を喜ばせようとしてきて失敗したわ。でもこれからは、自分を喜ばせることにしよう。(中略)今までやりたいと思っていたことを全部やるのは無理かもしれないけれど、やりたくないことは、もう一切しないわ。(中略)『絶望は解放、希望は束縛』よ」

内容紹介と感想

空想の「青い城」

ヒロインのヴァランシーは、立派なお城に住んでいる可愛い10代のお姫様……ではなく、小柄でやせっぽちの29歳独身。時代も時代ですから(本作は1926年の作品)、周りからはオールド・ミス扱いされています。

彼女は母親のフレデリック夫人、いとこと3人暮らしをしており、非常に窮屈な思いをしていました。特にフレデリック夫人は、『不思議の国のアリス』に登場する公爵夫人にたとえられているくらい性格がきつく、今でいう毒親(毒になる親)。娘が自分の思い通りにならないと気が済まないタイプです。

相手の顔色をうかがい、びくびくしながら毎日を過ごすヴァランシー。彼女が思い切り羽を伸ばせるのは、自室にこもり「青い城」のことを考えている時だけでした。そう、「青い城」というのは、想像力豊かなヴァランシーが生み出した夢の世界なのです。

世間体ばかりの一族

一族の者は気づいていませんが、ヴァランシーは優れたユーモアセンスの持ち主です。以前は表に出していなかったものの、元々彼女には辛辣なところが見られます。そのため、生き方を変えようと決意する前でさえ、読んでいて「意外といい性格しているなあ」と感じる箇所がありました。

もっともスターリング一族というのは、自分たちの立場、世間体の心配ばかりしていて、彼女が毒づきたくなるのも無理はない人間ぞろいなのです。

ヴァランシーの言動が変化したのは正気を失ったせいだと決めつける、のちにヴァランシーがバーニイ(詳細は後述)と結婚すると彼女が亡くなったものとして振る舞う、最後には手のひら返し、と大多数はうんざりするような行動の連続。

ただ、心に余裕ができてからのヴァランシーは、彼らはむしろ気の毒な人々なのだ、と考えられるようになりました。こういうシニカルな描写があるところもモンゴメリ流なのかもしれません。

人に必要とされる喜び

他人の目を気にしなくなったヴァランシーは、町の住人から恐れられている大工のおじいさん、がなりやアベルに話しかけてみることにしました。そして彼の娘シシイが肺を悪くしており、ひとりきりで家にいることを知ります。

ここからヴァランシーはますます活動的になっていき、アベル宅で住み込み家政婦として働くことに。お給料をもらうのも初めての経験です。

やって来たヴァランシーに対して「寂しくてたまらなかった」と本音を吐露するシシイ。誰かに寄り添ってほしいという気持ちは、ヴァランシーには痛いほどよくわかったことでしょう。

「青い城」のことをシシイに打ち明けると、彼女は同じ学校に通っていた頃からヴァランシーが「とてもすてきな秘密」を持っているように見えた、と言いました。全然自信のなかったヴァランシーでしたが、ちゃんと好感を抱いてくれている人もいたんですね。

過去はもはや変えようがありませんが、家庭環境が違っていたら、そうでなくても一歩踏み出す勇気があったなら、ヴァランシーはもっと自然に友達や恋人を作れていたのかもしれません。

個人的には、この中盤のシシイとの友情描写が本作で一番心に残りました。

本物の「青い城」

余命宣告をきっかけに自分の生き方を見つめ直す作品としては黒澤明監督の『生きる』などもよく知られていますね。『生きる』の劇中で主人公が「いのち短し、恋せよ乙女」と口ずさむシーンは非常に印象的ですが、ヴァランシーもまた残り短い人生を愛する人と過ごしたいと考えます。

ヴァランシーは、シシイによく差し入れをしてくれていたバーニイ・スネイスという男性と親しくなりました。素性が判然としない彼は流れ者らしく、ミスタウィス湖(マスコウカ湖がモデルとされています)にある小さな島を買ってそこで一人暮らしをしています。

スターリング一族はバーニイが前科者ではないかと根も葉もない噂をしていましたが、ヴァランシーは思い切って彼にプロポーズ。案内されたバーニイの島で、ついに自分の「青い城」を見出すのです。

自然の美しさ、生の美しさ

生地であるプリンス・エドワード島を舞台にして物語を書くことが多かったモンゴメリ。数少ない例外が本作『青い城』ですが、美しい自然描写が見所のひとつである点は変わりません。

まず、ヴァランシーが数年前から心の支えとしてきた作家、ジョン・フォスターの文章(作中作)が美麗です。自然を主題とし、どこか詩的な雰囲気が漂うところなどは、現実の作品で言えばレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』に通じるところがあるかもしれません。

さらに、島に引っ越して以降の自然の描かれ方は、ヴァランシーの目を通してその場の風景がまざまざとまぶたに浮かぶようでもありました。

ヴァランシーは島での生活を存分に楽しみます。それだけでなく、当時はまだ短髪の女性は珍しかったというのに髪をばっさりカットしたり、明るい色の服を着たり、映画に行ったりするなど、昔の彼女なら絶対にできなかったことをたくさんしました。

そんな生活を続けるうちにヴァランシーはどんどん美しくなっていきます。バーニイの知人の美人画家が彼女をモデルにしたがるほどに。

ただ、それは世間一般が想像する「美人」になったという意味ではありません。それはきっと、彼女が真に生きたと言えるほどの輝きを得たからこそ生まれた美しさなのでしょう。

おわりに

終盤に発覚する事実については、序盤から予想できる人にはできてしまう内容でしょう。しかし本作においては、どんでん返しよりも、そこに至るまでの過程とその結果ヒロインが何を手にしたかの方が重要であると思います。

恐怖に打ち克った先にこそ「青い城」がある。本作は単なるロマンス小説ではなく、一人の人間の成長物語なのです。