ジョナサン・スウィフト『ガリヴァ旅行記』

近現代文学
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フウイヌム国(馬の国)

先に引用したブロブディンナグ国王の発言などからもわかるように、作者の人間嫌いや厭世観はこれまでも随所に現れていましたが、第4編ではそれがより露骨になっています。

この最後の航海によってガリヴァの価値観は大きく変わってしまうのです。

馬が統治する国

知性ある馬

1711年、船を海賊に乗っ取られてしまったガリヴァは、見知らぬ土地に放置されます。そこは「フウイヌム」という高度な知性を持つ馬たちが治めている国でした。

ガリヴァは、とあるフウイヌム(ガリヴァは彼を「主人」と呼びます)の家で世話になり、彼らの言語や考え方を学んでいきます。

聖「馬」君子に学ぶ

生まれつき道徳的で、友情・仁慈を美徳とするフウイヌム。

この国には「嘘」や「偽り」に相当する単語は存在せず、ガリヴァは人間社会、政治・犯罪・戦争・金銭といったものについて説明するのに苦労します。対して主人は、人間同士では自覚しにくい欠点をこれでもかと指摘してくるのです。

ここではガリヴァが人類代表となっているわけですが、やって来たのが他の人だったら、主人たちの人間に対する認識はもう少し違っていたのでしょうか。それが良い方か悪い方かはわかりませんが……。

ヤフー

フウイヌムは「ヤフー」(有名企業Yahoo! の由来であるという話も)という動物を肉体労働者として使役していました。

醜悪で不潔なヤフーですが、よく観察すると人間と一致する身体的特徴を多く持っていることに気づき、ガリヴァはぎょっとします。

さらには、すぐに喧嘩する、貪欲でキラキラした石(宝石?)が大好き、ボスに追従する子分や雄に媚びる雌がいる、病気にかかりやすい、時に抑うつ状態になる……などなど、知能や技術力が段違いである点はさておき、性質的には人間とヤフーがそっくりであるという事実を、ガリヴァは突き付けられるのでした。

人間愛の喪失

共通点があると言っても、ヤフーというのは人間の短所だけ寄せ集めたような存在であって、あくまで多面的な人間性の一部を反映しているに過ぎないと思うのですが、ガリヴァは違いました。

この国の野生そのままのヤフーよりも生半可に理性のある人類の方がやっかいなのではないか──ついには自己嫌悪・同族嫌悪に陥ったガリヴァ。敬愛するフウイヌムとともに平安な日々を送ることに幸福を見出し、この地に骨を埋めたいと考え始めます。

この生活には、悪徳がないと同時に刺激もありません。また、公平な友愛の心はあるけれど、家族・恋人・友人に対してのみ向けられる特別な愛情は見られないようなので、肯定するか否定するか意見が割れそうなところです。

帰郷

強制送還

主人は他のフウイヌムがびっくりするほどに丁重に接してくれていましたが、全国会議の結果、ガリヴァは国外退去を迫られます。

もはや人間全体を嫌悪し、無人島で暮らしたいとまで考えていたガリヴァですが、その後、親切なペドロ船長と出会い、彼に促される形で家に帰ることに。しかし、奥さんにキスされて卒倒。ガリヴァにとっては今や家族も忌々しいヤフーでしかないのです。

こんな調子ですから、最後の航海に出る前にお腹の中だった末っ子は、お父さんに抱っこしてもらったことさえないのだろうな、と考えると切なくなります。友情をフウイヌムの美徳として称賛するのなら、自分も同胞愛を持てないものでしょうか。

隠遁生活

所詮自分はただのヤフーに過ぎない、と考えている現在のガリヴァには卑屈なところがあります。

しかし一方で、自分はフウイヌムの善性を知っていて、他のヤフー(人間)とは一線を画している、という自負があるようにも思われ、歪さを感じないでもありません。

ガリヴァは仔馬を2頭買い、彼らと毎日4時間はおしゃべりして過ごすようになりました。また、プロローグ「刊行者の言葉」によると、のちに故郷の片田舎に隠棲したことがわかります。

おわりに

架空の国々における生活や冒険を臨場感たっぷりに描いており、読者の想像力をかき立てる『ガリヴァ旅行記』。そんな本作は、時代を超え、冒険小説としてシンプルに楽しむことができます。

他方で、風刺小説としての面も損なわれてはいませんし、現代社会に通じるような問題が提起されている点も注目に値します。

小人や巨人、しゃべる馬といった不思議な住人たち……。ヤフーに限らず、彼らは我々人間のもうひとつの姿なのかもしれません。