フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(原題:Do Androids Dream of Electric Sheep?)は、フィリップ・K・ディックの代表作のひとつです。ここでは映画『ブレードランナー』(1982年)と比較しつつ、原作小説の紹介をしたいと思います。

あらすじ

舞台は第三次大戦後、放射能灰で汚染されつつある未来の地球。動物は絶滅の危機に瀕し、非常に貴重な存在となっていた。

収入が不安定な賞金稼ぎのリックに飼えるのは、機械仕掛けの電気羊くらいのものだ。しかし、今回の指名手配犯には高額な懸賞金がかけられている。

ターゲットは、火星から脱走してきた新型アンドロイド。危険な仕事だが、狩りが成功すれば「本物」を手に入れられる。そう考えたリックは、人間社会に紛れたアンドロイドたちと次々に対峙していくが……。

メインキャラクター

リック・デッカード
バウンティ・ハンター。妻のイーランと二人暮らし。本物の動物を飼うことに対して強い憧れを抱いている。

レイチェル・ローゼン
ローゼン協会の社員。感情移入能力に乏しく、どこか冷たい感じのする女性。

J・R・イジドア
郊外の廃ビルに住んでいる〈特殊者〉で、周囲からは「ピンボケ」呼ばわりされている。マーサー教の熱心な信奉者。

プリス・ストラットン
イジドアの暮らすビルの上階に越してきた若い女性。何かに怯えている様子だが……?

ベイティー夫妻
プリスの仲間。夫がロイ、妻がアームガード。物語後半、廃ビルに姿を見せる。

作中設定・用語

バウンティ・ハンター
アンドロイド専門の賞金稼ぎ。映画のブレードランナーに相当する。

ローゼン協会
植民用ヒューマノイドロボットの大手メーカー。映画のタレイル社に相当する。

ネクサス6型
ローゼン協会製の新型高知能アンドロイド。脱走者8名のうち2名はリックの前任者が対処済み。映画版では、アンドロイドがレプリカントという名称になっているほか、脱走者の数や名前・性格等が異なる。

フォークト=カンプフ感情移入(エンパシー)度検査法
アンドロイドを識別するために用いられる検査法の一種。ネクサス6型に対しても有効かどうかはまだ判然としない。

適格者(レギュラー)と特殊者(スペシャル)
〈適格者〉は、死の灰によって身体を汚染されていない人々を指す。身体検査の結果が〈特殊者〉であった場合には、他惑星への移住や子孫を残すことが認められず、差別や偏見に苦しむことになる。

バスター・フレンドリー
1日46時間のショーをこなす人気司会者。その正体に関してはある噂が……。

マーサー教
「共感(エンパシー)ボックス」を利用することでアクセスできるコミュニティ団体。謎の老人ウィルバー・マーサーとの精神的融合により、山登りのイメージを繰り返す。

内容紹介と感想

人間らしさとは何か

原作はまずタイトルがハイセンスでかっこいいですよね。少し検索しただけでもオマージュと思しき作品が複数見つかるほどですから、それだけ読み手に強烈なインパクトを与えるタイトルなのでしょう。

私の場合は映画を先に見ていたので、「なぜに羊?」という疑問が最初にわきました。また、単に私の察しが悪いだけかもしれませんが、映画だけでは検査の意図するところもよくわかりませんでした。

しかし実際に原作を読み始めると、すぐにタイトルのおおよその意味はつかめました。検査内容についても原作を読んで納得。ポイントは共感力だったのですね。

動物に愛情を注ぐ、相手の気持ちに寄り添う。そうした行動は、人間ならば(作中の言葉を借りれば「ピンボケ」も含めて)ごく当たり前にできること。ところが、アンドロイドにとっては、とても難しいことなのです。

もちろん世の中には冷酷な人間だっていますし、そんな人間よりもずっと人間味を感じさせるアンドロイドも登場します。

アンガス・テイラーは、ディックにとってのアンドロイドとは「内面的に・・・・疎外された人間」、すなわち「″現実″の世界(人間的な関わりあいと感じ方の世界)に接触できなくて、内に閉じこもり、機械的な生活を送っている人間」の象徴なのだろう、と評したそうです(浅倉久志氏の「訳者あとがき」より)。

映画では、アンドロイド(レプリカント)自体に着目し、彼らにも人間性は芽生えるのかという点を重視していたように思いました。しかし原作は、アンドロイドを通していかに人間を描くかという部分に大きな比重を置いているのです。映画ではばっさりカットされたイジドアやマーサーに関わる場面が多いのも、こうした違いを顕著に表していると感じます。

サイバーパンクの方向性を決定づけた映画

映画の主演はハリソン・フォード。主人公デッカードは陰のある渋い男性です。

原作を改変した結果、残念な映画に……というパターンもままありますが、『ブレードランナー』は映画史に残る傑作となりました。

映画という媒体であるがゆえに特色として挙げられるのが圧倒的な映像美です。退廃的な雰囲気を漂わせた近未来の都市風景には随所にアジアンテイストが盛り込まれており、その視覚イメージは真に迫るものがあります。

ギブスンの小説『ニューロマンサー』と並び、こうした無国籍風で雑多な街の描写は後発のサイバーパンク作品に強い影響を与えました。たとえば『攻殻機動隊』、また近年のゲームでは『サイバーパンク2077』などがそうですね。

映画のレプリカントは、明確に好意や怒り、悲しみといった感情を抱く存在として描かれています。寿命が4年しかないという状況下で、どうすればもっと長く生きられるのか模索し、人間のようにもがき苦しんでいるのです。

原作でデッカードは「おれにはきみたちアンドロイドのそのあきらめのよさががまんできない」と言っていますが、映画のレプリカントはしぶといところを見せてくれます。

また、原作に比べるとリーダー格のロイの登場が段違いに早く、その描写に非常に力が入っているというのも映画の特徴のひとつでしょう。彼とデッカードの最終決戦は、ロケ地であるブラッドベリー・ビルの持つ空気感も相まって、見る者に鮮明な印象を残します。

共感する生き物として人間を描く原作

原作のデッカードには映画版のようなハードボイルドさはありません。夫婦仲も冷め気味で少しくたびれたおじさん、というイメージを持ちました(イジドア視点でも外見は平凡だと述べられています)。もっとも仕事の腕は確かで、短期間のうちに6人ものアンドロイドを相手にします。

原作のデッカードは本物の動物に対する思い入れが強く、その購入費の捻出という目標が今回のアンドロイド狩りの原動力となっているのです。映画でも動物が貴重であるという話は一応出てきますが、掘り下げられないままストーリーが進行するので、まずここで両者の方向性の違いを感じます。

このように動物に関するエピソード、また先述の通りイジドア・マーサー関連にページを割いているのは、本作が共感性や人間性を描いているという点からすれば必然なのでしょう。

さらに、映画のヒロインはレイチェルですが、原作ではデッカードに奥さんがいることもあって、レイチェルの役割が大きく異なっているというのも特筆すべき点です。

小説を最後まで読んでみて、私が魅かれたのはその着地の仕方でした。映画のように洗練されたかっこよさというのは原作にはあまりありませんし、もし原作通り映画化されていたら『ブレードランナー』はそれほど人気にはならなかったかもしれません。しかし、帰る場所があって自分のことを待っていてくれる人がいる、そんな温かさやありがたさを原作のラストには感じます。私はそんなところが好きになりました。

わたし/あなたは人間?

とうさんは人間よ それでいいじゃない!!

これは手塚治虫作『火の鳥 生命編』の台詞。視聴率のためにクローン人間狩りをする番組が企画されるというストーリーで、生命の尊厳がテーマとなっています。この物語の最後にヒロインは、彼女にとって育ての親であり最愛の人でもある逃亡者が本物であったのか、それともクローンであったのかという質問をされます。しかし、彼女はただ上記のように叫ぶだけでした。

アンドロイドとクローン。第一印象はかなり異なるでしょうが、量産型扱いで軽んじられ、酷使されているという点では共通しているように思います。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、素晴らしい歌手のアンドロイドとシニカルなバウンティ・ハンターに出会った際、前者に感情移入し、自分で自分がわからなくなってしまったデッカードが自らテストを試みる場面がありました。

ここで一度私たちも立ち止まって考えてみるべきかもしれません。「自分は本当に『人間』と呼べるだろうか?」と。

大事なのはあなたが親切であること。「コピーも原物も、親切であればすべて本物」(「訳者あとがき」より)なのです。「あなたは間違いなく人間よ」と言ってもらえるよう、どんな時も親切心を忘れずにいたい。そう思わずにはいられません。