E.T.A.ホフマン『砂男』ほか

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今回は、池内紀訳『ホフマン短篇集』(岩波文庫)およびパペットアニメ『ホフマニアダ』をご紹介します。

『ホフマン短篇集』

ドイツ後期ロマン派の代表的作家、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン。その作風は、以降の幻想文学の潮流に強い影響を与えました。同時代に活躍した作家には、『影をなくした男』のシャミッソーなどがいます。

多作で代表作がいくつもあるホフマンですが、ここではバレエ『コッペリア』の原案としても有名な『砂男』を主に取り上げています。

『砂男』(Der Sandmann)

砂男の不吉な影

大学生のナタナエルは、晴雨計売りコッポラと遭遇したことで、幼少期のトラウマ体験を思い出します。父が存命であった頃、時折家に来ていた不気味な老弁護士コッペリウス――その男にコッポラはよく似ていました。

さあ子供たち――ベッドにいく時間ですよ。でないと砂男がやってきますよ。

「早く寝ないとお化けが来るぞ」といった類の話は、古今東西よく見られるものですね。ナタナエルが母から聞かされた、子供の目玉を奪う「砂男」も、当初はその手の物語のひとつに過ぎませんでした。

しかし、怪しげな実験にいそしむコッペリウスの姿を目にして以来、「砂男」は鮮烈で具体的なイメージを持ち始め、ナタナエルの人生に暗い影を落とすことになったのです。

婚約者との間に生じる亀裂

砂男・コッペリウス・コッポラを同一視するナタナエルに対し、婚約者のクララはいたって冷静です。思慮深い彼女は、すべてはナタナエルの心の問題である、と諭してみせるのでした。

澄んだ瞳を持つクララ(Claraはラテン語「明るい」を語源とする※)は、本作において日常や理性、秩序の象徴のように思えます。ナタナエルを介して一時的に非日常に巻き込まれはしても、最終的に穏やかな日常へと帰って行く、そういう女性です。

一方、芸術家でもあるナタナエルには、良くも悪くも現実的で、「砂男」の話や詩作を軽んじるクララが「血のかよわないからくりのお人形」のように感じられる時があるのです。ひょっとすると、次に述べるオリンピアの件がなくても、遅かれ早かれ二人の関係は破綻していたのかもしれません。

※同名の聖人にアッシジのキアラ(クララ)という目や眼病の守護聖人がいる点も、目つながりで興味深いと感じます。

望遠鏡と自動人形

いったんは平常心を取り戻したナタナエルでしたが、コッポラから買った望遠鏡をのぞき込んだ瞬間、再び状況が一転します。望遠鏡を通して垣間見たのは、向かいに住む物理学教授スパランツァーニの娘、オリンピアでした。それまでは眼中になかった彼女が、にわかに魅力的に見えてきたのです。

婚約者の存在を忘れ、オリンピアに夢中になるナタナエル。クララとは違い、オリンピアが身じろぎもせず何時間でも話を聞いてくれることに感動します(オリンピアの正体がわかってみれば、「そりゃそういう反応になるよ」としか思えないわけですが)。彼女は美人だが目に生気がない、何かいわくありげだ、という友人の忠告もナタナエルは無視してしまいました。

不思議な力が作用しているようなので、ナタナエルに関して「恋は盲目」という言葉が当てはまるのかどうかはわかりません。が、人間には自分が見たいものだけを見ようとする側面があるのだろう、と強く感じるシーンです。

その後、オリンピアがスパランツァーニ作の自動人形だと判明し、ナタナエルはようやく目を覚ましました。『コッペリア』であれば、ここで「めでたし、めでたし」となるところです。しかしながら『砂男』の場合、大きく狂った運命の歯車は元には戻らず……。

その他収録作品

その他の収録作品は、『クレスペル顧問官』『G町のジェズイット教会』『ファールンの鉱山』『廃屋』『隅の窓』の5篇。

優秀な法律家・外交員・音楽家でありながら奇行の目立つクレスペル、理想の作品を描けず苦悩する画家ベルトルト、仲間内で夢想家扱いされているテオドール、窓から外を見て空想の翼を広げる従兄……。どの作品にも印象深いキャラクターが登場します。

ホフマンは多才な人で、小説家としてだけでなく、作曲家・音楽評論家、画家、法律家としても活躍していました。昼間は判事で夜は作家、そんな『ジキル博士とハイド氏』のような二重生活ぶりは、現実と非現実が交錯する幻想的な作風にも反映されています。

上記のキャラクターも、それぞれホフマンの分身のような面があるように思われますね。

また、『砂男』同様、望遠鏡・手鏡・窓といったガラス製品がキーアイテムとして作中に登場する点や、死の影が色濃い点も注意を引きます。

『ホフマニアダ ホフマンの物語』(Hoffmaniada)

『ホフマニアダ』は、2018年公開のストップモーションアニメ。制作はソユーズムリトフィルム、『チェブラーシカ』を手掛けたことで知られるロシアのスタジオです。

主人公エルンスト(ホフマン)は、夢の世界でアンゼルムスという若者に姿を変え、蛇娘ゼルペンティーナに恋をします。そんな彼の身に魔女や砂男の魔の手が迫り……というのが大まかなストーリー。オペラ『ホフマン物語』の影響がうかがえる構成です。

『黄金の壺』をはじめ、『砂男』『くるみ割り人形とねずみの王様』等、複数の作品の要素を盛り込んでいるため、とりとめもない悪夢を見ているようで、視聴していて不安感をあおられます。

ストップモーションという手法は、独特の空気を持つ作品との相性がいいなあ、と改めて思いました。終盤、何十体もの人形が入り乱れる様は壮観です。

15年もの歳月をかけて制作された大作、機会があればぜひご覧になってください。

おわりに

世の中がどのように目に映るかはその人の心を反映している、というのはよく言われるところです。無反応のオリンピアは、ナタナエルにとって都合の良い願望を投影できる鏡でした。オリンピアの冷たい肌もぎこちない動作もすぐに意識の外へ追いやり、無言の愛を見出していました。

しかし、『砂男』で起きた事件の数々は、すべてナタナエルの精神的な問題に起因するものだった、とも言い切れないのが難しいところです。砂男は実在したのか、コッペリウスとコッポラは同一人物なのか、といった点についても想像の余地があります。

この物語をどう解釈するのか、それもまた我々読者の心の反映なのでしょう。私の場合は、ナタナエルに恐怖感を覚えたために、クララびいきの感想になってしまいます。

『砂男』という鏡をのぞくとき、あなたには一体何が見えるでしょうか?