クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』

クラフト・エヴィング商會は、吉田浩美・吉田篤弘ご夫妻のユニット名。お二人はデザイナーとしても活躍されているため、著作の装丁や挿画がストーリーに合わせて凝った仕上がりになっているのも魅力のひとつです。

今回は、そんなクラフト・エヴィング商會の作品の中から『クラウド・コレクター〈手帖版〉 雲をつかむような話』をご紹介します。文庫化にあたり、写真中心であった単行本よりも物語性を強めて再編集したというものです。

あらすじ

「雲、賣(う)ります」
奇妙な広告、旅行鞄から見つかった21本の空き瓶、隠しポケットの中の古い手帖にパスポート──それらは「私」の祖父、吉田傳次郎(でんじろう)の秘密でした。

江戸っ子気質で意外とロマンチスト、そしてクラフト・エヴィング商會の先代店主である傳次郎さんの心の旅を「私」は紐解いていきます。

「いいかい、この望永遠鏡はな、どこまでも遠くが見える不思議な装置なのだ。地球ってのは丸いだろう? だから、こいつを覗くと、地球をぐるりと一周し、自分の背中が見えてしまう。つまりな、ここからいちばん遠いところ、それは自分の背中なのだよ、いやホントの話」

内容紹介と感想

雲を売ろうとした話

目の前に空の瓶があったら、あなたは何を入れますか。
前々回紹介した安房直子作『空色のゆりいす』では空からもらった絵の具が、前回紹介した映画『ソング・オブ・ザ・シー』では感情が瓶に詰まっていました。一方、『クラウド・コレクター』はと言えば、瓶に雲を入れて売ろうとした男の話なのです。

手帖に書かれていたのは、傳次郎さんの架空旅行記。旅先は〈アゾット〉という21のエリアからなる国で、エリアごとに〈ムーン・シャイナー〉と呼ばれる地酒が製造されている設定です。

また、本書とあわせて読みたいのが『すぐそこの遠い場所』。見るたびに中身が変わる〈アゾット事典〉を「私」が「翻訳」した、『クラウド・コレクター』と対になった作品です。非常に忘れっぽいアゾット人視点のなせるわざなのか、本書とは一味違う楽しさがありますよ。

第1の手帖 望永遠鏡の先に

〈過客〉と呼ばれる人々

「1(ひい)、2(ふう)、3(みい)」
一瞬のうちに〈過客〉としてエリア1に足を踏み入れた傳次郎さん。過客というのは、松尾芭蕉『奥の細道』の序文「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」でも知られるように、旅人のことです。

エリア1は水の都かつ白手袋の産地で、旅の目的が芸術的なものか商業的なものかで左右いずれかの手袋をつける習わしとなっています。「私」も指摘しているとおり、この辺は芸術家にあこがれる商人・傳次郎さんの趣味が反映されているようです。

芸術目的でアゾットを訪れた過客としては、かつて演劇の都として栄えたエリア3において、サオウとショーヨーの名が挙げられています。前者は沙翁=シェイクスピア(〈事典〉によるとアゾット人はSHAKE SPHERE「球体を揺さぶる者」だと誤解している模様)、後者はもちろん坪内逍遥のことです。

なお、逍遥という単語には「気の向くままにあちらこちらを歩き回ること」という意味があるのですが、そこも手帖の内容と合っていて面白いですね。

いつだって師匠はお留守

エリア4〈ネーモ〉の名前の由来は、ジュール・ヴェルヌ作『海底二万海里』のネモ船長と同じでしょう。nemoはラテン語で「誰でもない」を意味しています。「見えない師匠」のもとに職人たちが集っているという、奇妙なギルド・シティにふさわしいネーミングですね。

ここでの師匠像は、ホッブズ作『リヴァイアサン』の扉絵や、レオ・レオニ作『スイミー』の挿絵(小さな魚たちが集まって大きな魚がいるように見せる)のようなイメージになるでしょうか。

たくさんの職人たちが集まることで得られる集合知こそが、「見えない師匠」なのだろうと思います。

忘却の世界と未完の事典

エリア5〈イプシロン〉には図書館・博物館等の学術機関が多数あり、アゾット事典が編集されているのもこの場所です。

物忘れがひどいアゾット人は記憶の保管に熱心に取り組んでいます。しかし、書いているうちにそもそも何について書いていたかも忘れてしまうという困った人々なのです。

刻一刻と変化する世界において、サグラダ・ファミリアの建築のごとく延々と続くアゾット事典の編集作業。未完であることを特色と考えるならば、それはそれでひとつの完成形と見ることもできるのかもしれません。

第2の手帖 すでに書かれてある物語

二人で一羽の兎

「ルイス・キャロルの昔から、兎を追うのが冒険の基本なのです」
エリア8で出会った、おしゃべりな探偵・円田(つぶらだ)さん。彼は〈忘却事象閲覧塔〉内にある兎の肖像を見て、ここから先は自分が兎の目、あなたが耳の役割をすることになるのだ、と傳次郎さんに言います。

ちなみに円田という名前の人物は、吉田音名義のミルリトン探偵局シリーズにも登場していたりします。

哲学サーカス団

エリア12には〈哲学サーカス団〉なるものが存在します。哲学者かつ曲芸師である彼らの特技は解釈芸、アゾットにおいて忘れ去られたボクシングやミシンといった事物の意味を推測してみせる、というものです。本来の用途を知っている私たちにとってはシュールな発言が続きますが、当人は大真面目。

円田さんは真実にこだわっていますが、改めて考えてみれば、そのような見方しかしていけない理由って本当にあるのでしょうか? アインシュタインは次のように、限界を伴う知識よりも想像力の方が重要であると語っています。

Imagination is more important than knowledge. For knowledge is limited, whereas imagination embraces the entire world, stimulating progress, giving birth to evolution.

円田さんタイプでいるということは、実はとても不自由なことなのかも……。

第3の手帖 雲を追う男

〈地図としての楽譜〉

「たとえそれがあなたのものではないとしても、その白いものには、きっと誰かしらの〈忘却〉が含まれています。そしてもちろん、あの雨の中にも…… 」

第3の手帖にもすてきな舞台装置がたくさん登場します。
〈忘却結晶〉をお菓子にしたほろ苦い〈雲砂糖〉。
立体型プラネタリム〈遊星オペラ劇場〉。こんな施設が実際にあったらぜひ行ってみたい。
当たり前のことを書いていながらも新鮮な驚きで迎えられる〈太陽王の予言歴〉。
移動音楽士〈かなでるものたち〉。旅の中間地点・エリア11に音叉で世界を測定する〈調律師〉がいたように、アゾットでは音楽が重要な位置を占めています。
そして、ある〈かなでるもの〉が語るアゾットの成り立ち。

過客がアゾットで発見したと思っているものは、本当は再発見ではないのか? 旅も終わりに近づいたころ、傳次郎さんはそんな考えに出合います。過客もアゾット人に負けず劣らず忘れっぽいのです。忘れたということ自体、忘れているのかもしれません。

旅の終わりは誰そ彼時

とうとう終着駅です。〈クラウド・コレクター〉との対話を通して、自分は『オズの魔法使い』に出てくる空っぽの心臓を抱えたブリキの木こりそっくりだと考える傳次郎さん。

手帖が書かれたのは戦時中でした。現在では当たり前のことが当たり前でなかった時代──思うように商売のできない葛藤、だからこそ何か新しい商売はできないかという挑戦、そういったものが背景にあったのです。

おわりに

本書は、架空旅行記が好き、言葉遊びが好き、レトロなイラストが好き、設定資料集を読むのが好き、そんな方におすすめの1冊だと思っています。

ただ、作中作の手帖に書かれた物語は、ひとつのファンタジー作品として見た場合、個人的に不完全さを感じます。しかしそれは決して悪い意味ではありません。

これは傳次郎さんの心の旅、ブリキの木こりの旅なのです。それでいいし、それがいいのです。

穴という欠如がドーナツをドーナツたらしめているのではないか。そう思うこともあるわけで……。